「永楽帝」の版間の差分

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しかし3月、北平の官吏の一部が燕王と結託と言う報告が入り、斉泰らは内通者を逮捕。都督の[[宋忠 (明)|宋忠]]に燕王の指揮下にある軍隊を率いさせて出動させると言う方法で北平の兵力を削減した。この頃から朱棣は仮病になったり狂人の振りをしていたとする。しかし、この仮病を密告するものがいたため斉泰らは燕王朱棣を逮捕するように指示した。一方朱棣の側もこの指示を知っていたとされる。
 
これに反発した朱棣は朝廷関係者と内通者を逆に捕縛し殺害。兵を集め、南京の建文帝に対し反乱を起こした。朱棣は自らの軍を靖難軍(君側の奸を討ち、国難を靖んずるの意味)と呼び、ここからこの反乱を[[靖難の変]]と称される呼ぶ
 
=== 靖難の変 ===