「ウスマーン・アリー・ハーン」の版間の差分

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その後、藩王ウスマーン・アリー・ハーンはハイダラーバードが占領された現実とインド政府の説得に応じて、国連安保理への提訴を取り下げることにし、翌[[1949年]][[11月24日]]にはインドへの併合を受け入れた<ref name=syometsu/>。その後、彼はインド政府からの年金受給者として、ハイダラーバードの宮殿で余生を送ることとなった。年金の額は諸藩王でも最高の500万ルピーであった<ref name=井坂47>井坂『インド独立と藩王国の統合:藩王国省のハイダラーバード政策』、p.47</ref>。
 
最後の藩王であるウスマーン・アリー・ハーンは「世界最大の資産家」と言われ、独立時のインドの国家歳入が10億ドルだったのに対し、彼は20億ドルの資産を擁していた<ref name=syometsu/>。また、彼は21人の妃と、28人の息子と, 、44人の娘といった大家族を持つ一方で<ref name=Hyderabad11/>、世界最大級の[[ダイヤモンド]]を文鎮がわりに使っていたといわれている。
 
===死と相続争い===