削除された内容 追加された内容
m 曖昧さ回避ページ春富村へのリンクを解消、リンク先を春富村 (愛知県)に変更(DisamAssist使用)
→‎あま市の発足: 西暦追加、年号追加、文章組み換え(内容に変更なし)
231行目:
==== あま市の発足 ====
; 昭和
1953年([[昭和]]28年の「町村合併促進法」と、続く「新市町村建設促進法」によって全国で町村合併が推進された。これに伴い、1954年(昭和29年に甚目寺町は名古屋市へ合併を働きかけるが、名古屋市の巨大化を懸念する愛知県がこれに反対し、この合併を認めなかった。愛知県はこの地域の合併試案として甚目寺町と[[大治町|大治村]]で一つに、美和村、七宝村、[[神守村]]での合併を推進していた。1956年(昭和31年、美和村が甚目寺町に合併を申し入れるが、合併方法を巡る双方の食い違いもあって議論は6ヶ月にわたって行われるも合併には至らなかった。一方で七宝村と大治村の合併話も浮上したが、こちらも合併には至らずに現状維持となった<ref>「あま市ものしり読本」 p.62</ref>。
 
; 平成
2008年(平成20年)5月1日には、七宝町・美和町・甚目寺町・大治町の4町で「海部郡東部四町合併研究会を設置。2008年(平成20年)11月5日の大治町の離脱が11月5日に発生し、これにより海部郡東部四町合併研究会は解散。それに代わって2008年(平成20年)11月に「七宝・美和・甚目寺町合併研究会」で合併研究会を設置。2009年(平成21年)4月に法定合併協議会へ移行。7月の第8回合併協議会において、6点(西名古屋市、名西市、海部市、海東市、あま市、西尾張市)の名称候補の中から、旧3町の住民へ募集の投票おこなかった名前得票が「名西市」となったものの、その後の合併協議会委員の選考で、「あま」という名前を残したいという理由で投票を行った意味がなくなり、最も投票数が少なかった「あま市」に決定され、住民が投票を行った意味がなくなってしまうという結末を迎えた

2010年(平成22年)3月22日、'''あま市'''が誕生した。
 
=== 沿革 ===
* [[1889年]] - [[海東郡]][[宝村 (愛知県)|宝村]]、[[井和村]]、[[伊福村 (愛知県)|伊福村]]、[[正則村]]、[[蜂須賀村]]、[[篠田村]]、甚目寺村、[[萱津村]]、[[春富村 (愛知県)|春富村]]、[[新居屋村]]、[[森村 (愛知県)|森村]]、[[東今宿村]]、[[白鷹村 (愛知県)|白鷹村]]が発足。