「向山源太夫」の版間の差分

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| 死没 = [[安政]]3年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]([[1856年]][[9月8日]])
| 改名 =
| 別名 = [[諱]]:篤、号:誠斎、偶堂
| 諡号 =
| 神号 =
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'''向山 源太夫'''(むこうやま げんだゆう)は、[[江戸時代]]後期の[[旗本]]。[[諱]]は篤。[[仮名 (通称)|通称]]が源太夫。誠斎と号す。別号に偶堂。[[向山黄村]]を養子に迎えている。
 
== 略歴 ==
[[蔵米]]100俵取りの旗本、向山吉之丞の長子として誕生した。[[文化 (元号)|文化]]14年(1817年)に家督を継ぐ。
 
小普請組から[[天保]]元年([[1830年]])に書物御用出役に任ぜられ、天保9年([[1838年]])に[[奥右筆]]に転ず。幕府保管文書のうち、興味をひくものを私に筆録し始める{{Efn|これが後に『誠斎雑記』となる。}}。[[天保の改革]]にさいし、旧慣先例の調査に功績ありとして、天保14年([[1843年]])に[[勘定組頭]]に抜擢<ref>{{Cite book|和書|author=大口勇次郎|year=2002|title=国史大辞典 第13巻|publisher=吉川弘文館|pages=592p}}</ref>。勝手方御用となり、[[老中]]・[[土井利位]]の財政改革に協力するが、土井の失脚と共に勘定方を免ぜられる。
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{{DEFAULTSORT:むこうやま けんたゆう}}
[[Category:江戸時代の人物]]
[[Category:幕末の旗本]]
[[Category:奥右筆]]
[[Category:幕末維新北海道史の人物]]
[[Category:樺太史の人物]]
[[Category:1801年生]]