「高延宗」の版間の差分

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高長恭と[[斛律光]]が粛清され、また[[陳 (南朝)|南朝陳]]に侵食されたのを契機に北周による侵攻が開始された。その中で[[祖廟]]を守るべく奮戦するも、北斉軍は壊走し状況が緊迫してきた。副都の[[晋陽]]に北周軍が達するに及び、[[後主 (北斉)|後主]]に対し徹底抗戦を主張したが、後主は全責任を高延宗に押し付けて逃走してしまう。そのため部下の将帥たちから皇帝として擁立され、北周の軍勢に対抗した。結局は北周に大敗し、晋陽は陥落、捕らわれの身になってしまう。
 
その後は北周で賓客として待遇されたが、それを甘受せず毒薬を仰ぐことが数度あった。後に[[穆提婆]]の反乱未遂の疑いに連座して高氏一族が誅滅された際に、殺されることを潔しとせず自殺した。享年34。
 
== フィクション ==