「ハインリヒ・ラインホルト」の版間の差分
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1819年に友人の画家、エルハルトとイタリアに移り、イタリアで没するまでの5年間、イタリアの各地を描いた。イタリアに滞在していたドイツ人画家たち、[[カール・ゲツロフ]]や[[ルートヴィヒ・リヒター]]とも親しくなった。ナポリや美術愛好家のロプコヴィッツ侯爵の子息(Ferdinand von Lobkowitz)とシチリアも訪れた。友人のエルハルトは、精神障害を患い、1822年に自殺し、ラインホルトも病気になり、1825年にローマで没した。36歳であった。
「[[ナザレ派]]」に近い[[フリードリヒ・フォン・オリヴィエ]]や[[ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルト]]とともに写生旅行を行い[[ヨーゼフ・アントン・コッホ]]とも知り合った。ラインホルトの風景画にはヨーゼフ・アントン・コッホの影響があるとされる<!-- ドイツ語版ではこの一節はウィーンに戻ったとの記述の後に置かれていて、オーストリア時代の話のように読めるのですが、コッホの記事の年譜と読み合わせるとコッホに会ったとすればイタリアに来てからのように読めるので位置を変えました。! -->。
== 作品 ==
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File:Heinrich Reinhold - Der Mönchsberg bei Salzburg - 2526 - Österreichische Galerie Belvedere.jpg|メンヒスベルクの風景
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▲|File:Heinrich Reinhold - Sorrente.jpg|ソレント
▲|File:Heinrich Reinhold - Groupe de maisons à Olevano.jpg|オレーヴァノ・ロマーノ
== 参考文献 ==
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