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最初無稱 眞體無著(窮極の始原は名づけることができない”有”であり、神の本質は理解するすべがない)
 
惟茲實有 執一含萬(それはただ実有するだけであり、絶対的一であり続けながらも万有を含む)</blockquote>上記の本経の文言に対応して「最初無称図説」、「真体無著図説」、「大用渾然図説」というよう図説が配置されている。「最初無称図」では”有”の一字を配した図を挙げているが、これはアラビア語のWujud(絶対存在)に対応しているとされている<ref>{{Cite book|和書|title=中国イスラーム哲学の形成  [[王岱輿]]研究|date=|year=2012|publisher=人文書院|author=[[堀池信夫]]}}</ref>。<blockquote>最初無称図説
 
宇宙造化には初めというものがあり、その初めには必ず最初というものがある。万有が未だ形と成らない先に、全ての理は既に具わっていた。これが造化の初めである。まさに、それを名づけようとしても名づけることのできる理由がないもの、これをこそ最初とする。宇宙造化の起源は何らかの名称を以て言うことができない。歴代の諸家はこの無名称であることを以て”無”と言ってきたが、どうしてそんなことが言えようか?