「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の版間の差分

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'''第二世界大戦期アイルランドの局外中立'''は{{仮リンク|第二次世界大戦の欧州戦線|label=ヨーロッパで第二次世界大戦|en|European theatre of World War II}}が勃発した際、[[アイルランドの首相]][[エイモン・デ・ヴァレラ]]の提案により[[ウラクタス|ウラクタス (アイルランド議会)]]が採用した政策である。 [[第二次世界大戦]]中、{{仮リンク|第二次世界大戦中のダブリン空襲|label=ドイツ軍機による空襲が何度か行われたが|en|Bombing of Dublin in World War II}}、イギリス軍の目標には届かず、{{仮リンク|カーローグ (商船)|label=連合国軍と枢軸国軍の双方によるアイルランド商船への攻撃|en|MV Kerlogue}}があったにも関わらず、この政策は維持された。デ・ヴァレラは[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]や[[枢軸国]]に加わる事を控えたが、[[ドイル・エアラン]]ではドイツだけではなくイギリスによる侵攻の可能性についても議論され、いずれかの不測の事態に備えて準備が行われたが、最も詳細な計画は連合国と連携して行われた{{仮リンク|プランW|en|Plan W}}であった。 戦争中、デ・ヴァレラの与党である[[共和党 (アイルランド)|フィオナ・フォイル]]は中立政策を支持し続けた。
 
現在の[[アイルランド|アイルランド共和国]]でこの時代は、通常の政府機能を停止するため採用された憲法条項の文言に基づく「{{仮リンク|緊急非常事態 (アイルランド)|label=緊急非常事態|en|The Emergency (Ireland)}}」という呼称で知られている。
 
中立政策を遂行するためには[[中立]]を厳格に遵守する事と、戦争当事者のいずれか一方からの侵攻を撃退・抑止したりするための現実的な措置を講ずる事の間でバランスをとる必要があった。