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[[アブー・ナスル・マンスール]]の下で数学を学び、[[イラン]]、[[中央アジア]]の各地を遊歴した。[[イブン・スィーナー]](アウィケンナ)とも交流を持った。[[サーマーン朝]]の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマアムーンなどに仕えたが、[[ガズナ朝]]が[[マー・ワラー・アンナフル]]を征服するとこれに仕えるようになった。[[1000年]]頃、後に[[ゾロアスター教]]の重要な資料となる『古代諸民族年代記』を執筆した。
 
[[1017年]]から[[1030年]]にかけて、ガズナ朝の[[スルターン]]・[[マフムード (ガズナ朝)|マフムード]]に仕えた。マフムードの十数回に及ぶ[[インド]]遠征にたびたび随行し、インドの[[民俗学|民俗]]、歴史、法律および言語をまとめた『インド誌』を1030年に完成させた。同年、天文学書『マスウード宝典』をまとめあげた。この本の中で、アーリヤバタの[[地球]]の[[自転]]を紹介したが、採用はしていない。また、地球の[[半径]]を約6,339.6kmと計算している。現在の観測による数値(赤道面での半径)は6,378kmであり、極めて正確であったといえる。ちなみに『[[シャー・ナーメ]]』の著者[[フェルドウスィー]]とも同時代人である。
 
他に薬学全集『サイダナの書』(『薬学の書』)、鉱物事典『宝石の書』を執筆した。著書の数は120を超える。著書は主に[[アラビア語]]で執筆されている。『ヨーガ・スートラ』のアラビア語訳などインド関連の著作物が20編ほどあり、[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の『[[アルマゲスト]]』を[[サンスクリット]]に翻訳することを試みたが、この翻訳が成功したことを示す証拠は今のところ見つかっていない。ユネスコから[[世界の記憶]](世界記憶遺産)登録を受けた<ref>{{Cite web