「林家こん平」の版間の差分

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'''林家 こん平'''(はやしや こんぺい、本名:'''笠井 光男'''〈かさい みつお〉、[[1943年]]〈昭和18年〉[[3月12日]] - [[2020年]]〈令和2年〉[[12月17日]]<ref>{{Cite news |title=林家こん平さん死去 77歳 笑点「チャラーン」で人気 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2020/12/21/0013954608.shtml |date=2020-12-21 |newspaper=デイリースポーツ|accessdate=2020-12-21}}</ref><ref name="k21">{{Citenews|title=
落語家の林家こん平さんが死去|url=https://this.kiji.is/713638380105203712|newspaper=一般社団法人共同通信社|date=2020-12-21|accessdate=2020-12-21}}</ref><ref name="rk21">{{Citeweb|title=林家こん平 訃報|url=https://rakugo-kyokai.jp/news/4092/|work=一般社団法人落語協会|date=2020-12-21|accessdate=2020-12-21}}</ref> )は、日本の[[落語家]]。[[新潟県]][[刈羽郡]][[千谷沢村]](現・[[長岡市]]<ref>{{Cite news |title=難病リハビリ中の林家こん平さん、故郷で「チャラーン!」 |url=http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=122389 |date=2015-08-10 |newspaper=yomiDr. |publisher=読売新聞社 |accessdate=2015-08-10}}</ref>)出身<ref>1999年6月13日放送の『[[笑点]]』第1669回の「私のふるさと」にて。</ref><ref>本人いわく、出身地は「チャーザー村」だが、正しい読み方は「ちやざわむら([[千谷沢村]])」。</ref>。愛称は「こんちゃん」{{refnest|group=注|主に「笑点」の司会の[[三波伸介 (初代)|三波伸介]]、5代目圓楽、歌丸がこん平をこう呼んだ。弟子のたい平の愛称「たいちゃん」の由来にもなっている。}}。[[落語協会]]理事などを歴任するが、後述の病気もあり[[2006年]]4月以降は相談役にまわった。
 
[[出囃子 (落語)|出囃子]]は『[[佐渡おけさ]]』。[[ABO式血液型|血液型]]はA型。
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2013年にかねてより患っていた[[糖尿病]]が悪化し左足の[[壊死]]が進み呼吸困難に陥り、緊急入院したが心肺停止の状態となった。一命は取り留めたものの、壊死した左足の指を切断し、半年後に退院。退院後は自宅で家族による介護を受けた<ref>{{Cite news|url= https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1612125/ |title= 林家こん平 心肺停止から2年「落語会がリハビリ」娘が明かす |newspaper= 女性自身 |publisher= 光文社 |date= 2015-07-24 |accessdate= 2019-08-22 }}</ref><ref>{{Cite web|url= https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150419-OYTEW54902/ |title= [笠井咲さん]落語会で驚きの回復…こん平さん、生死の境まで |website= yomiDr. / ヨミドクター |publisher= 読売新聞 |date= 2015-04-19 |accessdate= 2019-08-22 }}</ref>。
 
2014年5月、こん平の介護およびマネージメントをしていた二女の咲(えみ)が「[[一般社団法人]]林家こん平事務所」を設立。8月、[[都電荒川線]]を走る[[東京都電車|都電]]1両を借り切っての興行「都電落語会」のプロデュースを発表。同年8月22日に第一回の「都電落語会」が開催された。2014年10月15日放送の「笑点特大号」(BS日テレ)では、「都電大喜利」で三遊亭小遊三と弟子の[[林家ぼたん]]と共演している。
 
同年8月31日には『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]37』に出演。2013年に糖尿病を併発し一時心肺停止まで陥っていたことが紹介され、その後遺症による左足壊死と右手の麻痺と闘いながらリハビリに取り組む姿が特集された<ref name="ntv24-2" />。メインスタジオの[[日本武道館]]には次女とともに[[車いす]]で訪れ「1、2、3、チャラーン!」を10年ぶりに披露した<ref name="ntv24-2" />。
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長らくこん平単独で「チャラーン」と叫んでいたが、[[2002年]]から観客が偶発的に呼応するようになり、最終的にはこん平と観客が大合唱する「視聴者参加型挨拶」と名づけた挨拶を行うようになった{{refnest|group=注|元々は挨拶の冒頭で叫んでいたが、観客と合唱する頃には締めに言うようになった。}}。これ以降、隣の楽太郎や歌丸は「チャラーンをやる人は愚か者」「良識ある人は絶対にやらないでください」などと観客にお願いするという、一種のフリのような挨拶をし、全員で「チャラーン」をやる際には二人が耳を塞いで迷惑そうに対処するのが恒例化する。
 
しかし、こん平の療養による休演後は楽太郎を中心に、他のメンバーも全員週替わりで「チャラーン」の代行をした。こん平の弟子のたい平が代役を務めてからはその回数は減ったが、[[2006年]]元日の『[[大笑点]]』フィナーレや、同年[[1月22日]]の2000回目の放送時、TeNY[[テレビ新潟]]開局25周年を記念して、こん平の地元・[[長岡市]]で収録された同年[[10月15日]]の放送時に「師匠こん平から言われていることでありますので」とたい平が観客と共に「チャラーン」を披露。また、「日テレアナウンサー大喜利」に定期的に出演してい[[藤井恒久]]は「こん平師匠直伝の視聴者参加型挨拶 最後の継承人」として、挨拶の際は必ず観客と一緒に「チャラーン」を行ってい。正蔵の弟でこん平の直弟子である2代目林家三平(当時の芸名は林家いっ平)もメンバーになる前の[[2005年]][[4月]](いっ平を名乗っていた頃)に番組内で行われた9代目林家正蔵襲名披露口上の席上で、師匠快癒を祈念して「チャラーン」を披露した。
 
2021年1月30日放送分の大喜利では、1問目に追悼企画として「チャラーン」を使った問題が出題された<ref>[https://www.ntv.co.jp/sho-ten/onair/2746.html 放送内容 第2746回]日本テレビ 笑点</ref>。
 
== 一門弟子 ==
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* [[林家たい平]]:『笑点』では、こん平の病気療養に伴う代理として2004年12月から大喜利メンバーとなる。2006年の5代目三遊亭圓楽勇退→桂歌丸が後継司会として就任する際に、正式に自身の後任としてレギュラー入りして現在に至る。師匠が着ていた着物のオレンジ色(橙色)と6枠の席順も継承している。
** こん平休演前にも『大喜利下剋上(若手大喜利)』の回答者として度々出演しており、『笑点』には長年に渡って関わっている。師弟共演を果たしたことも何度かある。
** 『笑点』ではしばしば「'''笑点に出たいためにこん平師匠に毒を盛った'''」「(こん平の)'''治療費を一円も払っていない'''」などと他メンバー(主に6代目三遊亭円楽)からイジられることが多い。
* [[林家三平 (2代目)|2代目林家三平]](前名:いっ平。[[2009年]][[3月21日]]に2代目三平襲名):師匠初代三平の次男・泰助。
** 初代三平の死後にこん平に入門し、直弟子になる(兄の正蔵(こぶ平)と異なり、初代三平死去当時はまだ小学生で落語家として入門していない)。