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矢部は、日本で初めて[[納豆]]([[納豆菌]])を[[微生物学]]的に研究したことでも知られる{{sfn|柳沢羊平|1997|p=367}}。1894年(明治27年)、納豆から桿状菌1種と小球菌3種を分離したことを『東京化学会誌』{{efn|東京化学会の会誌。1921年に東京化学会は[[日本化学会]]と改称し、会誌も『日本化学会誌』と改題した。}}に発表した{{sfn|堀田国元・佐々木博|2011|p=57}}{{sfn|矢部規矩治|1894|pp=196-205}}{{efn|[[納豆菌]]は、1905年(明治38年)に[[沢村真]]が発見した。}}。1894年に『農科大学学術報告』に発表された "On the vegetable cheese, Natto" {{sfn|堀田国元・佐々木博|2011|p=57}}は、納豆に関する初の英語論文である<ref>{{cite web|url=https://seesaawiki.jp/w/taiji141/d/On%20the%20vegetable%20cheese%2C%20Natto|title=On the vegetable cheese, Natto|work=納豆wiki|accessdate=2021-2-14}}</ref><ref>{{cite web|url=http://blog.livedoor.jp/taiji141/archives/65258761.html|title=近代納豆の先駆|work=七転納豆|date=2009-5-17|accessdate=2021-2-14}}</ref>。
 
矢部は[[古在由直]]のもとで、[[矢木久太郎]]らとともに日本酒醸造法の研究にあたった{{sfn|村上英男|1974|p=663}}。日本酒の発酵過程については明治10年代以来研究と論争が続けられており{{efn|1876年(明治9年)、[[ヘルマン・アールブルク]]によって[[麹]]から麹菌([[ニホンコウジカビ]])が分離された。麹菌の胞子が清酒酵母に変位してアルコール発酵を行うとする「麹菌胞子説」([[オスカー・コンシェルト]]、[[高峰譲吉]]、ユーレル、エルゲンセンら)と、麹菌とは別に清酒酵母があるとする「酵母独立説」([[ロバート・ウィリアム・アトキンソン]]、コーン、ハンゼン、ウェーマーら)があった。}}、古在は清酒酵母の純粋培養説を唱えていた{{sfn|村上英男|1974|p=663}}。1895年(明治28年)、矢部は古在と共同で{{sfn|柳沢羊平|1997|p=367}}、[[日本酒]]の[[醪]](もろみ)から[[清酒酵母]]を分離することに成功{{sfn|柳沢羊平|1997|p=367}}。1897年(明治30年)には、清酒酵母の来源が稲藁であることを証明、れらの研究成果を『東京農科大学紀要』に "On the origin of Sake yeast (Sacckaromyces Sake)"の標題で発表した{{sfn|村上英男|1974|p=664}}。なお、こうして発見された清酒酵母の[[学名]]は ''Saccharomyces sake'' YABE であると認識されているが{{sfn|柳沢羊平|19971|p=367}}{{sfn|村上英男|1974|p=664}}、実は1897年(明治30年)の矢部の論文でも本文中には ''Saccharomyces sake'' の名は記載されておらず、1908年(明治41年)の[[中沢亮治]]が別種の清酒酵母を発見した論文で用いたのが初出とされる{{sfn|塚原寅次|1961|p=68}}{{sfn|村上英男|1974|p=664}}。なお、現代では清酒酵母はいずれも ''Saockaromyces cerevisiae'' またはその変種とされている{{sfn|村上英男|1974|p=664}}。
 
=== 大蔵省への入省と醸造試験所 ===