「オランダ東インド会社」の版間の差分

日本近海での私掠
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(日本近海での私掠)
 
また日本や[[アユタヤ王朝|タイ]]との交易も手がけ、中国に拠点をもつことは認められなかったが、当時無主の地であった[[オランダ統治時代 (台湾)|台湾]]を占拠し、対中貿易の拠点とした。[[南アジア]]では主としてセイロン島のポルトガル人を追い払い、島を支配した。日本では[[カトリック教会|カトリック]]とスペイン・ポルトガルのつながりに警戒感を強めていた[[江戸幕府]]に取り入りポルトガルの追い落としに成功、[[鎖国]]下の日本で欧州諸国として唯一、[[長崎市|長崎]][[出島]]での交易を認められた。アジアにおける[[ポルトガル海上帝国]]はオランダ東インド会社の攻勢によって没落した。[[イギリス東インド会社]]や[[フランス東インド会社]]もオランダとの競合に勝てず、東アジアや東南アジアから撤退して、[[インド]]経営に専念することになる。
 
なお、オランダ東インド会社が日本に進出した時点で、すでにポルトガルが日本との貿易を行っており、オランダ側は貿易品を充分に確保できなかった。結果、オランダは「[[私掠船|私掠]]」としてポルトガル船などを襲う挙に出ていた<ref>[https://www.orandatowatashi.nl/about/nichiran-kouryuu 日蘭交流の歴史] [[在日オランダ大使館]]、2021年2月21日閲覧。</ref>。だが、東アジアでは私掠の概念は通用せず、[[江戸幕府]]からは[[1621年]]に海賊行為を禁止する禁令を出されるなど、オランダの貿易独占が成立する以前には[[海賊]]として認識される有様であった{{sfn|東洋文庫|2015|pp=18-30}}。
 
スペイン、ポルトガルでユダヤ人は[[強制改宗|改宗が強制]]され、[[スペイン異端審問|異端審問]]などでひどい扱いを受けていた。そこから追放されたユダヤ人はアムステルダムなど各地に散在。ユダヤ人は商人などが多いので、東インド会社もユダヤ人が関係している。日本からのポルトガルの排斥はその意味からも非常に重要なポイントである。
| year = 2002
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}}
* {{Citation| 和書
| editor1 = [[東洋文庫]]
| ref = {{sfnref|東洋文庫|2015}}
| title = 東インド会社とアジアの海賊
| publisher = [[勉誠出版]]
| year = 2015
| isbn = 978-4-585-22098-5
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