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| 受賞歴 =
}}
'''春一番'''(はるいちばん、[[1966年]][[8月13日]] - [[2014年]][[7月3日]])は、[[日本]]の[[お笑いタレント]]、[[俳優]]。

本名春花 直樹(はるはな なおき)。[[アネット (芸能事務所)|アネット]]所属していた
 
[[神奈川県]]生まれ、[[岡山県]][[浅口郡]][[鴨方町]](現:[[浅口市]])出身。
 
== 来歴 ==
[[神奈川県]]生まれ、[[岡山県]][[浅口郡]][[鴨方町]](現:[[浅口市]])出身。高校は素行不良が元で、高校を最初の一学期のみで中退し、地元の悪い仲間から引き離したいと親が考えたことにより、[[埼玉県]]の親戚の元へ預けられ、その後[[大宮市]](当時)内の[[甘栗太郎]]に入社した<ref>自著『元気です!!!』31-33ページより</ref>。同社での

サラリーマン生活を経て、[[1985年]]に芸人を志し[[片岡鶴太郎]]に弟子入り<ref name="Sankei140703">{{Cite news |title=猪木さんものまね芸人、春一番さんが死去|newspaper=産経新聞|date=2014-07-03|url=https://www.sankei.com/entertainments/news/140703/ent1407030001-n1.html}}</ref>。、[[1988年]]にドラマ『[[翼をください (テレビドラマ)|翼をください]]』で芸能界デビューした
 
[[1988年]]、ドラマ『[[翼をください (テレビドラマ)|翼をください]]』で芸能界デビュー。当時の所属事務所は鶴太郎が所属する[[太田プロダクション]]で、鶴太郎夫人の画数診断によると「本名では画数が悪い」とのことで芸名を付けようということになり<ref>自著『元気です!!!』45ページより</ref>、苗字が春花である事と、『芸人として一番を目指せ!』『春一番の風のように強い風を吹かせろ!』という思いを込めて、師匠の鶴太郎自身が『春一番』という芸名を命名した<ref name="Tsurutaro">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/03/kiji/K20140703008498060.html?feature=related 片岡鶴太郎 愛弟子・春一番さんを悼む「酒を辞めて欲しかった」] スポーツニッポン 2014年7月3日閲覧</ref>。太田プロの同期のお笑い芸人には[[爆笑問題]]([[太田光]]・[[田中裕二 (お笑い芸人)|田中裕二]])、[[月亭方正松村邦洋]]、[[松村邦洋太田光代]](当時・松永光代)がいる。
 
ご本人公認[[モノマネ|ものまね]]である、[[アントニオ猪木]]の真似一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。小学校での卒業アルバムに、自分の将来について「猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と書いたほどである<ref>自著『元気です!!!』21ページより</ref>。猪木の物真似は[[ロックバンド]]『[[THE BLUE HEARTS]]』の[[甲本ヒロト]]と、[[漫画家]]の[[ゆでたまご]]から勧められたもので、[[テレビ東京]]の『宴会芸大賞』で初披露した。本人は物真似は出来ないと渋っていたが、「猪木さんの物真似なら…」と最後は承諾して物真似を披露した<ref>自著『元気です!!!』68ページより</ref>。
[[1988年]]、ドラマ『[[翼をください (テレビドラマ)|翼をください]]』で芸能界デビュー。当時の所属事務所は[[太田プロダクション]]。鶴太郎夫人の画数診断によると「本名では画数が悪い」とのことで芸名を付けようということになり<ref>自著『元気です!!!』45ページより</ref>、苗字が春花である事と、『芸人として一番を目指せ!』『春一番の風のように強い風を吹かせろ!』という思いを込めて、師匠の鶴太郎自身が『春一番』という芸名を命名した<ref name="Tsurutaro">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/03/kiji/K20140703008498060.html?feature=related 片岡鶴太郎 愛弟子・春一番さんを悼む「酒を辞めて欲しかった」] スポーツニッポン 2014年7月3日閲覧</ref>。同期のお笑い芸人には[[爆笑問題]]([[太田光]]・[[田中裕二 (お笑い芸人)|田中裕二]])、[[月亭方正]]、[[松村邦洋]]がいる。
 
[[アントニオ猪木]]の[[物真似]](猪木自身が唯一公認している)一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。小学校での卒業アルバムで、自分の将来について「猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と書いたほどである<ref>自著『元気です!!!』21ページより</ref><!-- <ref>芸人仲間が「猪木」と呼び捨てにすると「猪木さんと言いなさい!」とその都度注意したほどである。 [[爆笑問題の日曜サンデー]] 2014年7月6日放送回より。</ref> -->。猪木の物真似は[[ロックバンド]]『[[THE BLUE HEARTS]]』のリードボーカルで[[歌手]]の[[甲本ヒロト]]と『[[キン肉マン]]』で有名な[[漫画家]]の[[ゆでたまご]]から勧められて始めた。猪木の物真似を初めてやったのは[[テレビ東京]]の『宴会芸大賞』という番組で、物真似で出ろと勧められても最初物真似は出来ないと渋っていたが、「猪木さんの物真似なら…」と最後は承諾して物真似を披露した<ref>自著『元気です!!!』68ページより</ref>。その後『[[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]』では毎回「プロレス字読みクイズ」に当然猪木の物真似付きで出場し、散々なやられっぷりを見せた後に「'''今日も負けてしまいましたが…'''」「'''1・2・3・ダァーッ!!'''」のマイクアピールで締めるお約束で知名度が高まる<ref>自著『元気です!!!』24ページより</ref>。しかし、過度の酒好きも絡んだ素行不良により、[[1994年]]に太田プロから解雇され<ref name=daily181026>{{Cite web|date=2018-10-26|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/10/26/0011765543.shtml|title=春一番さん 同期・爆問も知らなかった最期…47歳、アル中患い突然死|work=デイリースポーツ|publisher=神戸新聞社|accessdate=2018-10-26}}</ref>。
 
『お笑いウルトラクイズ』を若手抜擢・育成の場と考えていた[[ビートたけし]]は春に目をかけており、周囲の人間に春に酒を飲ませないよう指示を出したり、「お前が酒を止めたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いたりしていた<ref name=daily181026/>。たけしと同じく事務所の先輩である[[ダチョウ倶楽部]]も、春の家に電話をかけて酒を飲んでいないか様子をみるなど、多くの芸人仲間が春の生活ぶりを気にかけていた<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/267479/2|title=ダンカンの笑撃回顧録『たけしの「お笑いウルトラクイズ」のトンデモ舞台裏<3>』|publisher=[[日刊ゲンダイ]]|date=2020-01-12|accessdate=2020-01-12}}</ref>。太田光は春に電話し、「飲んでないよ」という春の声に加え、ロックアイスが『カラン』と鳴る音を聞いたという
 
爆笑問題の太田光は電話をて「飲んでないよ」という春の声とかしウィスキーかバーボンのロックアイスが『カラン』と鳴る音を聞いという。かし、「お前が酒を止めたら…」の言葉に感涙した次の日にはすっかり忘れて飲みふけっていたり、春が酒びたりでやせ細っていると聞いたたけしが「しっかり飯を食べるように」と贈った炊飯器で[[熱燗]]やホットウイスキーを作っていたりするなど(これについて[[浅草キッド]]らがネタにしたこともある)<ref>自著『元気です!!!』136-137ページより</ref>、春自身はその最後まで酒を手放す止めることが出来なかった。
 
[[1997年]]3歳年下の女性と結婚した
 
[[1998年]][[4月4日]]の引退セレモニーで猪木が読み上げた朗読詩「道」は、春の新しい物真似レパートリーとなり、徐々に表舞台への登場が増える。さらに[[2000年]]頃、猪木の活動が注目を集めるようになると、春自身へのオファーもさらに増え、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。
 
しかし[[2005年]][[8月8日]]から12月にかけて、[[腎不全]](病名は[[化膿性肺炎]])で入院し、手術を受けた。[[集中治療室]]に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという(この際、ICU内にもかかわらず猪木の携帯電話が鳴ってしまったが、猪木は悠然と電話に出て「10分後にかけ直す」と言ったという)<ref>自著『元気です!!!』187ページより</ref>。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木とは回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席していたとのこと。なお、このICUの中で猪木が食らわせたビンタで春一番が回復したというエピソードもある<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20140704-OHT1T50009.html|title=猪木氏「元気ですかー!」ICUで気合入れていた…春一番さん急死|publisher=[[スポーツ報知]]|date=2014-07-04|accessdate=2014-07-04}}</ref><ref name=vitamin>{{Cite web|url=http://japan.techinsight.jp/2010/07/inoki-haru1ban-kaifuku.html|title=「元気ですかー!」。アントニオ猪木の気合で病床の“春一番”が一命を取りとめていた。|publisher=エンタがビタミン♪|date=2010-07-27|accessdate=2014-07-04}}</ref>。[[2006年]][[12月31日]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『最強運2006ランキング大検証SP』に出演し、仕事復帰した
 
[[2014年]][[7月2日]]、帰宅後に一人で飲酒し酩酊した後、妻が[[7月3日]]午前1時頃に春を寝かしつけた際には「ごめんね、ありがとう」と繰り返していたが<ref name=daily181026/>、午前6時頃、隣で寝ていた夫人が身体が冷たくなっている春に気付き、救急搬送され、病院で蘇生措置が取られたが午前7時頃に死亡が確認された。死因は[[肝硬変]]<ref name="Sankei140703"/>。{{没年齢|1966|8|13|2014|7|3}}。
[[2006年]][[12月31日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『最強運2006ランキング大検証SP』に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。その後も営業や単発のテレビ出演などを精力的にこなしていた。
 
[[2014年]][[7月2日]]、帰宅後に一人で飲酒、酩酊した後、妻が[[7月3日]]午前1時頃にを寝かしつけた際には「ごめんね、ありがとう」と繰り返していたが<ref name=daily181026/>、午前6時頃、隣で寝ていた夫人が身体が冷たくなっているに気付き救急車で緊急搬送され、病院で蘇生措置が取られたが午前7時頃に死亡が確認された。死因は[[肝硬変]]<ref name="Sankei140703"/>。{{没年齢|1966|8|13|2014|7|3}}。死去を受け、アントニオ猪木が「'''贈る言葉に相応しくないと思いますが、あえて『元気ですかー!』を送ります。'''」と追悼コメントを寄せ<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/07/03/0007112845.shtml 猪木氏 春一番さんに別れの言葉] デイリースポーツ 2014年7月3日</ref>、師匠の片岡鶴太郎<ref name="Tsurutaro"/>、先輩の[[ダがコメカン (お笑い芸人)|ダンカン]]<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/04/kiji/K20140704008500750.html 春一番さん 妻亡くトを出たダンカンに弔電送っていたのに…] スポーツニッポン 2014年7月4日閲覧</ref>も春の死を悼んでいる
 
通夜は[[7月9日]]、[[葬儀]]・告別式は[[7月10日]]に東京都内の斎場で近親者のみで営まれたが、爆笑問題、[[山田邦子]]、[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]、[[エスパー伊東]]、[[布川敏和]]、[[肥後克広]](ダチョウ倶楽部)、[[松村邦洋]][[アントニオ小猪木]][[アントキの猪木]]ら春と親しかった芸能人も通夜・告別式に参列し、春の冥福を祈った。出棺は喪主を務めた春のである夫人の意向によりアントニオ猪木のマイクパフォーマンスの際の決め台詞で春の定番ギャグでもあった「1・2・3・ダァーッ!!」と音頭を取って春を天国へ送り出した。
 
春の告別式から一夜明けた[[7月11日]]、春が遺した自身の[[ブログ]]を夫人が更新し、春の容態急変から死亡するまでの一部始終を克明に伝えた。最後は'''春さんと出会って22年 マネージャーになって20年 結婚して18年 いつも春さんと一緒にいました。'''(中略)'''春一番を応援してくださった皆様 春一番を支えてくださった関係者様 春一番と仲良くお付き合いしてくださった御友人の皆様 本当にありがとう御座いました。 春一番闘魂伝笑ブログを御覧くださりありがとう御座いました。 この場をかりて御報告をする事を御許しください。'''」と夫人から春のファンや芸能関係者に向けて感謝のメッセージが添えられた。
 
== エピソード ==
* 鶴太郎への弟子入りは、直接鶴太郎の自宅へ出向いての押しかけ”のような形だったが、自宅の場所は当時鶴太郎のあるゴシップ記事で載っていた自宅マンション前の写真と、『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』([[ニッポン放送]])で聴いた情報を頼りに推測して行ったという<ref>自著『元気です!!!』39-41ページより</ref>。
* アイドルグループの[[CoCo (アイドルグループ)|CoCo]]、[[ribbon (アイドルグループ)|ribbon]]のファンで、特に[[三浦理恵子]]のファンだった<ref>自著『元気です!!!』85ページより</ref>。
* それまでの猪木のモノマネの定番であった「(アゴを突き出し)何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかった、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたとい。春の営業「ダァー!」に「1、2、3、ダァー!ですのかけ声だけでギャラがれる、最もコスト・パいうセリがあったり、「ダァマンス!」高い営業だと水道橋博士ギャグにさ「ハイ!」と合図を挟むという特徴があるが、こは猪木が[[1990年]][[2月10日]]、リング上で初め「ダァー!」を行った際の模様を正確に模写したものである。
* 春が行う「ダァー!」には、「1、2、3、でダァー!です」というセリフがあったり、「ダァー!」の前に「ハイ!」と合図を挟むという特徴があるが、これは猪木が[[1990年]][[2月10日]]、リング上で初めて「ダァー!」を行った際の模様を正確に模写したものである。
* 猪木だけでなく[[長州力]]や[[山本小鉄]]のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。
* 近年後に、同じく猪木の物まねをレパートリーとすそっくりさんであ[[アントニオ小猪木]][[アントキの猪木]]が登場しているが、春が猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただし小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネ、アントキの場合はモノマネを応用したなりきりネタを主に披露しており、一方春の場合は純粋に猪木の話し方のモノマネが多いという、差別化された特徴がある。また、3人で『[[くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン]]』に出演、[[2009年]]のアントニオ猪木の誕生日パーティーでも3人集結したなど、勢揃いしての仕事も何度かある<ref>{{Cite web|url=http://www.allnightnippon.com/ariue/konsyu/080422/index080422top.html|title=2008年4月22日(火)【第131回】|publisher=『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』番組公式サイト|date=2008-04-22|accessdate=2014-07-04}}</ref><ref name=vitamin/><ref>この際春自身、猪木のモノマネ芸人が多数登場したことについて「みんな猪木信者がいればいいと思っている」と同じ猪木ファンは一体であると語っている。</ref>。
* 『[[週刊オリラジ経済白書]]』では、収入の9%としてアントニオ猪木からの小遣いを挙げている。これは猪木から貰った金額が9万円と中途半端な金額の為である。また大きな収入として[[携帯電話]]の[[着信ボイス]]も挙げている。
* 『[[内村プロデュース]]』内の健康診断企画において、不健康芸人のサンプルとして呼ばれたことがある([[2002年]][[5月16日]]放送分)。その際、γ-GTPの値が1500というあまりにも異常な結果が出たためすぐに医者から入院を勧められた(成人男性のγ-GTPは10〜50が正常値と言われており、春の数値はその30倍。「超高度」の基準値でも500であり、1500という数字がいかに異常であるか分かる)<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%EF%BC%81%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/766221/4|title=2014年7月4日放送『グッド!モーニング』|publisher=TVでた蔵|date=2014-07-04|accessdate=2014-07-04}}</ref>。しかし、それでも春は酒を愛する余り止めることができず、後の死の一因となった。
* [[JUN SKY WALKER(S)]]の[[宮田和弥]]は、デビューしたばかりの頃に春と同居していたことがあった<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140704-1328489.html|title=宮田和弥、同棲していた春一番さん偲ぶ|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2014-07-04|accessdate=2014-07-04}}</ref>。
*2000年3月11日に国立競技場で行われたサッカーJリーグディビジョン1・1stステージ第1節の鹿島アントラーズvs名古屋グランパスにはアントニオ猪木がゲストで登場したが、春はその1週間後の2000年3月18日に国立競技場で行われたサッカーJリーグディビジョン1・1stステージ第2節のFC東京vsアビスパ福岡にゲストとして登場した。
 
== 出演 ==
=== バラエティ ===
* [[オールナイトフジ]](1988年頃、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
=== ドラマ ===
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== 関連項目 ==
* [[アントニオ猪木]]
* [[アントキの猪木]]
* [[アントニオ小猪木]]
* [[井手らっきょ]]
* [[片岡鶴太郎]]
* [[爆笑問題]]、[[松村邦洋]]、[[太田光代]] - 太田プロ時代の同期
* [[お笑いタレント]]
* [[リアクション芸人]]