「臨済義玄」の版間の差分

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=== 大悟以降 ===
その後、臨済は[[河北省|河北]]の有力軍閥である成徳[[節度使]]{{仮リンク|王紹懿|zh|王紹懿|en|Wang Shaoyi}}(禅録では王常侍)の帰依を受け、[[正定県|真定府]]の[[臨済寺 (河北省)|臨済院]]に住み、[[興化存奨]]を初めとする多くの弟子を育て、北地に一大教線を張り、その門流は後に[[臨済宗]]と呼ばれるようになった。
 
その宗風は[[馬祖道一]]に始まる[[洪州宗]]の禅風を究極まで推し進め、中国禅の頂点を極めた。その家風は「'''喝'''」(怒鳴ること)を多用する峻烈な禅風であり、[[徳山宣鑑|徳山]]の「'''棒'''」とならび称され、その激しさから「'''臨済将軍'''」とも喩えられた。
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== 語録 ==
語録として『'''[[臨済録]]'''』が弟子の[[三聖慧然]]によってまとめられ、北宋代に印刷されて以降、広く流布し、「語録の王」と称されている。
* お前たちは祖仏に会いたいと思うか。いまわしの面前で説法を聴いているお前たちこそがそれなのだぞ。しかし、修行者がそれを信じきれないが故に、外に向かって求め回るのだ。たとえ得ることが出来たとしても、それは全て文字上のことであり、決して活きた[[達磨]]の意ではない<ref>「你欲得識祖佛。祇你面前聴法底是。学人信不及、便向外馳求。設求得者、皆是文字名相、終不得他活祖意」(『天聖広灯録』巻11 臨済章)小川太龍「[https://hu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=750&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 唐代禅の思想展開 ー空に回帰する黄檗の禅から既に空なる臨済の禅へー]」19頁</ref>。
* 仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親類に逢うては親類を殺せ。始めて解脱を得ん。