「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
続きの部分を翻訳
65行目:
 
たいびたび[[噂]]になっていたにもかかわらず、[[Uボート]]がアイルランドを給油基地として使用したことは一度もなかった<ref>{{Cite web|url=http://greyfalcon.us/Ireland.htm|title=Ireland|website=greyfalcon.us|accessdate=2021-02-23}}</ref>。この噂の起源は、[[1939年]]にUボートの司令官{{仮リンク|ヴェルナー・ロット|en|Werner Lott}}が金属鉱石を積んでイギリスに向かっていたギリシャの貨物船を沈めた後、{{仮リンク|U-35 (潜水艦・2代)|label=ドイツの潜水艦U-35|en|German submarine U-35 (1936)}}によって救出された28人のギリシャ船員をアイルランドの海岸に置き去りにした件に由来する可能性が高い<ref name="u-35.com">{{Cite web|url=http://www.u-35.com/sources/Kerryman1999.htm|title=Kerryman 1999|website=www.u-35.com|accessdate=2021-02-23}}</ref>。この事件はアメリカの人気雑誌「[[ライフ (雑誌)|ライフ]]」の[[1939年]][[10月16日]]号の表紙に掲載された。このニュースは広く報道され、捕虜となったギリシャ人が降ろされる所を目撃した地元の人々は、不法侵入したUボートが沿岸防衛機が向けられる前に立ち去り、再び潜航した事を指摘した<ref name="u-35.com"/><ref>{{cite journal|date=16 October 1939|title=War on U-Boats|journal=Life Magazine|publisher=Time-Life|pages=Cover and p. 79|url=https://books.google.com/books?id=RUIEAAAAMBAJ&q=%22life+magazine%22}}</ref>。
 
== 外交政策 ==
 
=== 理念 ===
デ・ヴァレラにとってアイルランドの中立性を強調する目的は、アイルランドの主権の保全にあり、中立政策を貫く事で合理的な目標とイデオロギー的な目標の双方を達成した{{要出典|date=2021年2月}}。[[アイルランド独立戦争]]の闘士たちは、アイルランドの独立を達成するためイギリスの敵と同盟を結ぶ準備ができていたが、その間にも、アイルランドの独立のためにはイギリスとの同盟を結ぶ必要があると考えていた。 彼らは独立達成後にそのような政策を継続する事は、挑発的で危険である事を認識していた。デ・ヴァレラは早くも[[1920年]]2月に次のような指摘をしている<ref name=fanning121>Fanning, R., 1983, Independent Ireland, Dublin: Helicon, Ltd.. p. 121</ref>。
 
{{quotation|独立アイルランドがイギリスの独立が深刻な脅威にさらされている事を認識した瞬間にわが国の独立も危うくなる。双方が独立国である限り、これらの2つの島の人々どちらかに真の国家的危機が到来した瞬間、相互の自己利益により最も近い同盟国になる。}}
 
この発言は、デ・ヴァレラが[[1918年]]にアメリカの[[ウッドロウ・ウィルソン]]大統領に[[アイルランド共和国 (1919-1922)|アイルランド共和国]]を独立国として[[国家の承認|正式に承認]]する事を求める書簡を送った際、早くも次のように述べていた点を反映した物である<ref name=fanning121/>。
 
{{quotation|アイルランドは条約により、外国勢力がアイルランドを攻撃の拠点とする危険からイングランドの安全を確保する準備が完全にできています。}}
 
デ・ヴァレラは[[1936年]]に[[第二次エチオピア戦争|イタリアがエチオピアを占領した]]後、[[国際連盟]]で次のように述べている<ref>{{cite web|url=http://www.difp.ie/viewdoc.asp?DocID=1716|title=Speech by Éamon de Valera at the League of Nations Assembly|date=2 July 1936|work=Documents on Irish Foreign Policy|publisher=Royal Irish Academy|pages=No. 347 NAI DFA 26/94|access-date=27 March 2011}}</ref>。
 
{{quotation|平和の存在は大国の意思にかかっています。もし、大国の政治家が彼らの義務を果たさなかった場合、すべての小国がとれる手段は彼らがどんな巨大な力の道具にもならない事、そして、彼らが自らの意志に反して戦争に追いやろうとするあらゆる試みやどんな力にも抵抗するであろう事を断固として決定する事です。}}
 
戦争が勃発する数ヶ月前、デ・ヴァレラは[[AP通信]]を通じて声明を出し、[[1939年]][[2月20日]]に新聞に掲載された<ref>Dáil Debates, 22 March 1939.</ref>。
 
{{quotation|アイルランド国民と政府の願いは、わが国を戦争から守る事であり、政府の政策の目的は、戦争が起こった場合にわが国の中立性を維持する事である。私たちの目的を確実にするための最善にして唯一の方法は、誰も私たちを攻撃したり、私たちの領土を侵害する事が免責されるのを望めないように、自分自身を守るために可能な限り最善の位置に身を置く事である。私たちがイギリス以外の国から攻撃された場合、イギリスは自国の利益のため、攻撃を撃退する我々を助けなければならない事ももちろん承知している。}}
 
== 脚注 ==