「ギル・スコット・ヘロン」の版間の差分

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== レコーディングの経歴 ==
スコット・ヘロンは1970年にLP”スモール・トーク・アット・125TH・アンド・レノックス”で録音活動を始める。[[フライング・ダッチマン・レコード]]の[[ボブ・シール]]がプロデュースをしたアルバムで、 スコット・ヘロンはエディー・ナレスと[[コンガ]]のチャーリー・サンダースと同行し、デビット・バーネスがヴォーカルとパーカッションを担当した。14曲のアルバムのテーマは”テレビの浅はかさと大衆の消費主義”で、 いくつかの偽善が黒人革命を成し遂げ、白人の中間階級によって都市部の住人が、その無知による困難に直面した。ライナーノートの中には、スコット・ヘロンが影響を受けた[[リッチー・ヘブンス]]、 [[ジョン・コルトレーン]]、[[オーティス・レディング]]、[[ホセ・フェリシアーノ]]、[[ビリー・ホリデイ]]、ラングストン・ヒューズ、[[マルコム・X]]、[[ヒューイ・P・ニュートン]]、[[ニーナ・シモン]]、 そして長年のパートナーであるブライアン・ジャクソンを認める記載がある。 1971年のスコット・ヘロンのアルバム”Piece of a Man"は、自由というよりは慣習性の高い構成になっており、[[スポークン・ワード]]も最初のアルバムとほぼ同じ作りとなっている。 彼はジャクソン、ジョニー・ペイトを指揮者として、[[コントラバス|ベース]]とベース・ギターを[[ロン・カーター]]、ドラマーには[[バーナード・パーディー]]、 エレクトリックギターにはバート・ジョーンズ、[[笛|フルート]]とサックスには[[ヒューバート・ロウズ]]、ティーレを再度プロデュースしている。 スコット・ヘロンの3枚目のアルバム”Free Will”は1972年であり、ジャクソン、パーディー、ロウ、ノウル、サンダースを中核にして、[[ジェリー・ジェモット]]がベース、[[デヴィッド・スピノザ]]にギター、ホラス・オット(アレンジャー等) を迎えての作品となる。ロン・カーターはスコット・ヘロンの声について、”彼は偉大な歌手ではない、しかし、彼がささやく声だとしたら、それは躍動的で。彼の声はまるでシェイクス・ピアのようなダイナミズムがある”<ref name="newyorker" />{{Listen|pos=right|filename=Scott-Heron_Johannesburg.ogg|title="Johannesburg"|description="ジョナスバーグ",1975年と1983年のシングル}}1974年にブライアン・ジャクソンとは別のアルバムでもコラボレートした。”Winter in America”は、ドラムをボブ・アダムス、ベースにダニー・ボーウェンを迎えた批評的で評価の高いアルバムである。 このアルバムは、スコット・ヘロンが最も探求してきた素材や特徴が多く、ジャクソンの前のアルバムよりも創作的なものとなっている。このアルバムは、2人のミュージシャンがとても努力した<ref name="allmusic">[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 "'B]</ref><ref name="spin">[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 ck A]</ref> 芸術的なアルバムとして、多くの批評家からみなされた。1974年に沿って、スコット・ヘロンとジャクソンの2人のバンド”Midnight Band:The First Minute of a New Day”がリリースされた。1975年、シングルの”ジョナスバーグ”では南アフリカの人種隔離政策 に涙した為作ったものである。この歌は1983年に”B映画””Waiting for the Axe to Fall"と共に、再度問題として世間に取り上げられた。 ライブアルバム”It's your World”は1976年にスポークン・ポエトリーで録音され、”The Mind of Gil Scott-Heron”は1978年に発表された。<ref>[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 ow'] </ref> ”Angel Dust”はヒットを記録し、このシングルにはマルコム・セシルをプロデューサーに迎えての録音となる。1978年のR&Bチャートでは15位を記録している。 1979年、スコット・ヘロンは[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で核兵器廃絶のコンサートで演奏している。コンサートは[[スリーマイル島原子力発電事故]]に端を発して、[[原子力|核エネルギー]]の使用を防ぐ為、ミュージシャンによる安全エネルギーという組織 によって開催されたものである。スコット・ヘロンの歌は”We Almost Lost Detorit”で核廃絶アルバムではコンサートのハイライトになった。スコット・ヘロンの歌は、ジョン・G・フラーの本のタイトルになり、以前起こった核エネルギー施設の事件 をほのめかした。スコット・ヘロンはしばしば[[ロナルド・レーガン]]大統領と保守的な警察の批評をしていた。<ref>[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 "'Black Arrow' Gil Heron a trailblazer at Celtic – Father of famous jazz musician dies aged 87"], ''The Scotsman'' (December 2, 2008). Retrieved April 11, 2019.</ref> スコット・ヘロンは1980年代に録音とリリースをしており、”Real Eyes(1980)”、”Reflections(1981)””Moving Target(1982)””1982年2月にはロン・ハロウェイのアンサンブルにテナー・サックスで参加している。 ロン・ハロウェイはスコット・ヘロンをツアーに迎えており、”Moving Target(1982)”にも貢献している。彼のテナー・サックスの伴奏は、”Fast Lane”や”Black History/The World”でも目立つものである。 ハロウェイは1989年の夏までスコット・ヘロンと共に音楽活動をしており、[[ディジー・ガレスピー]]を離れた何年後かに、スコット・ヘロンはロン・ハロウェイのCD”Scorcher(1996)”と”Groove Update”の2つに参加している。 アルバムは両方ともファンタシー/マイルストーンレーベルから発売されている。<ref name="Encyclopedia">[http://www.jazz.com/encyclopedia/holloway-ron-ronald-edward ''Encyclopedia of Jazz Musicians''.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110713093533/http://www.jazz.com/encyclopedia/holloway-ron-ronald-edward|date=July 13, 2011}}</ref> スコット・ヘロンは1985年に[[アリスタ・レコード]]から即興録音をしており、そしてツアーを続けている。同じ年、”Sun City”という[[アパルトヘイト]]に対するアーティスト連合のアルバムで”Let Me See Your I,D”という曲で歌い、 構成も行っている。その中で有名な”初めて、中東で事件があったのを聞いた時、私はピッツバーグについて話をしようと考えていた”や、この歌は南アフリカの[[アパルトヘイト]]時代と共に、アメリカの人種間の緊迫関係と、意味している ことは遠い問題では無いことを語っている。1993年、スコット・ヘロンはTVT Recordと契約し”Sprits”をリリース。このアルバムは”Message to the Messengers”という影響力の強い曲を含んでおり、 アルバムの最初の曲は、現代のラップアーティストを酷評した曲でもある。スコット・ヘロンは”ラップのゴットファーザー”として知られており、<ref>{{cite news|title=Gil Scott-Heron: Musician, writer and political activist whose years lost to drug addiction could not erase his influence|url=https://www.independent.co.uk/news/obituaries/gil-scottheron-musician-writer-and-political-activist-whose-years-lost-to-drug-addiction-could-not-erase-his-influence-2290724.html|accessdate=December 21, 2013|newspaper=The Independent|date=May 30, 2011|author=James Maycock}}</ref><ref>{{cite magazine|author=Wenn|date=July 8, 2006|title=Scott-Heron To Serve Time For Breaking Rehab Deal|url=http://www.contactmusic.com/news.nsf/article/scott-heron%20to%20serve%20time%20for%20breaking%20rehab%20deal_1001885|accessdate=May 28, 2011|magazine=Contactmusic.com}}</ref> 一つのジャンルを広範囲に広めた”父”の一人として批評されている。 政治的意識を与える彼の創設した嘘は、彼を政治的ラップの初めの創設者と呼ばせた。”Message to the Messengers”は、より表現的に芸術的に新しいラップの世代を代弁し永続する現在の社会的状況を変化させる。 その点においては、1990年代のヒップ・ホップと呼ばれている。彼はインタビューで
 
1974年にブライアン・ジャクソンとは別のアルバムでもコラボレートした。”Winter in America”は、ドラムをボブ・アダムス、ベースにダニー・ボーウェンを迎えた批評的で評価の高いアルバムである。 このアルバムは、スコット・ヘロンが最も探求してきた素材や特徴が多く、ジャクソンの前のアルバムよりも創作的なものとなっている。このアルバムは、2人のミュージシャンがとても努力した<ref name="allmusic">[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 "'B]</ref><ref name="spin">[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 ck A]</ref> 芸術的なアルバムとして、多くの批評家からみなされた。1974年に沿って、スコット・ヘロンとジャクソンの2人のバンド”Midnight Band:The First Minute of a New Day”がリリースされた。1975年、シングルの”ジョナスバーグ”では南アフリカの人種隔離政策 に涙した為作ったものである。この歌は1983年に”B映画””Waiting for the Axe to Fall"と共に、再度問題として世間に取り上げられた。 ライブアルバム”It's your World”は1976年にスポークン・ポエトリーで録音され、”The Mind of Gil Scott-Heron”は1978年に発表された。<ref>[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 ow'] </ref> ”Angel Dust”はヒットを記録し、このシングルにはマルコム・セシルをプロデューサーに迎えての録音となる。1978年のR&Bチャートでは15位を記録している。 1979年、スコット・ヘロンは[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で核兵器廃絶のコンサートで演奏している。コンサートは[[スリーマイル島原子力発電事故]]に端を発して、[[原子力|核エネルギー]]の使用を防ぐ為、ミュージシャンによる安全エネルギーという組織 によって開催されたものである。スコット・ヘロンの歌は”We Almost Lost Detorit”で核廃絶アルバムではコンサートのハイライトになった。スコット・ヘロンの歌は、ジョン・G・フラーの本のタイトルになり、以前起こった核エネルギー施設の事件 をほのめかした。スコット・ヘロンはしばしば[[ロナルド・レーガン]]大統領と保守的な警察の批評をしていた。<ref>[https://www.scotsman.com/sport/black-arrow-gil-heron-a-trailblazer-at-celtic-father-of-famous-jazz-musician-dies-aged-87-1-1150227 "'Black Arrow' Gil Heron a trailblazer at Celtic – Father of famous jazz musician dies aged 87"], ''The Scotsman'' (December 2, 2008). Retrieved April 11, 2019.</ref> スコット・ヘロンは1980年代に録音とリリースをしており、”Real Eyes(1980)”、”Reflections(1981)””Moving Target(1982)””1982年2月にはロン・ハロウェイのアンサンブルにテナー・サックスで参加している。 ロン・ハロウェイはスコット・ヘロンをツアーに迎えており、”Moving Target(1982)”にも貢献している。彼のテナー・サックスの伴奏は、”Fast Lane”や”Black History/The World”でも目立つものである。 ハロウェイは1989年の夏までスコット・ヘロンと共に音楽活動をしており、[[ディジー・ガレスピー]]を離れた何年後かに、スコット・ヘロンはロン・ハロウェイのCD”Scorcher(1996)”と”Groove Update”の2つに参加している。 アルバムは両方ともファンタシー/マイルストーンレーベルから発売されている。<ref name="Encyclopedia">[http://www.jazz.com/encyclopedia/holloway-ron-ronald-edward ''Encyclopedia of Jazz Musicians''.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110713093533/http://www.jazz.com/encyclopedia/holloway-ron-ronald-edward|date=July 13, 2011}}</ref> スコット・ヘロンは1985年に[[アリスタ・レコード]]から即興録音をしており、そしてツアーを続けている。同じ年、”Sun City”という[[アパルトヘイト]]に対するアーティスト連合のアルバムで”Let Me See Your I,D”という曲で歌い、 構成も行っている。その中で有名な”初めて、中東で事件があったのを聞いた時、私はピッツバーグについて話をしようと考えていた”や、この歌は南アフリカの[[アパルトヘイト]]時代と共に、アメリカの人種間の緊迫関係と、意味している ことは遠い問題では無いことを語っている。1993年、スコット・ヘロンはTVT Recordと契約し”Sprits”をリリース。このアルバムは”Message to the Messengers”という影響力の強い曲を含んでおり、 アルバムの最初の曲は、現代のラップアーティストを酷評した曲でもある。スコット・ヘロンは”ラップのゴットファーザー”として知られており、<ref>{{cite news|title=Gil Scott-Heron: Musician, writer and political activist whose years lost to drug addiction could not erase his influence|url=https://www.independent.co.uk/news/obituaries/gil-scottheron-musician-writer-and-political-activist-whose-years-lost-to-drug-addiction-could-not-erase-his-influence-2290724.html|accessdate=December 21, 2013|newspaper=The Independent|date=May 30, 2011|author=James Maycock}}</ref><ref>{{cite magazine|author=Wenn|date=July 8, 2006|title=Scott-Heron To Serve Time For Breaking Rehab Deal|url=http://www.contactmusic.com/news.nsf/article/scott-heron%20to%20serve%20time%20for%20breaking%20rehab%20deal_1001885|accessdate=May 28, 2011|magazine=Contactmusic.com}}</ref> 一つのジャンルを広範囲に広めた”父”の一人として批評されている。 政治的意識を与える彼の創設した嘘は、彼を政治的ラップの初めの創設者と呼ばせた。”Message to the Messengers”は、より表現的に芸術的に新しいラップの世代を代弁し永続する現在の社会的状況を変化させる。 その点においては、1990年代のヒップ・ホップと呼ばれている。彼はインタビューで
{{quote|彼らは音楽を学ぶ必要がある。私は詩人としてキャリアを始める前にいくつかのバンドで演奏していた事がある。言葉を置くことで音楽を超える、そして同じ言葉を混ぜ合わせて音楽にするという大きな違いがある。
多くのユーモアは無く、彼らは多くの俗語と口語体を使うが、個人の中を本当に覗くことはできない。言い換えると、あなたは多くの思わせぶりな言動だけを手にする。<ref name="Salaam">Salaam, Mtume ya, and Kalamu ya Salaam, [http://www.nathanielturner.com/breathoflifegilscottheron.htm "Breath of Life Presents – Gil Scott-Heron & His Music" (reviews)]. ''ChickenBones: A Journal''. Retrieved August 23, 2008.</ref>|Gil Scott-Heron}}