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アジアに目を向けると、中国では、すでに[[紀元前4世紀]]ころまでには、内陸水運を用いて大都市間で[[食糧]]の運送が開始されており<ref name="britannica_shipping" />、その後大運河([[京杭大運河]])の本格的な建設も行われ、それにより本格的に内陸水運が一層推進され、[[6世紀]]にはそれが完成した。中国では西暦[[200年]]ころには複数の[[マスト]]([[帆柱]])を立てた船舶で海運を行っていた<ref name="britannica_shipping" />。
 
[[日本]]は、島の集まり(列島)であり、おまけにひとつひとつの島も山がちな土地であり、ひとつひとつの島の中の土地土地も[[山地]]や[[山脈]]によって分断され、というより、むしろ「島々を占める多くの山地の間に わずかな平地がある」と表現したほうがむしろ良いような国であり、古墳時代、飛鳥、奈良時代...など、当時の技術や経済力で山地で路を作ることはきわめて困難で、広域をしっかりと結ぶ路はあまり整備されておらず、たとえ山地に路が作られた場合でも、細い山道であり、せいぜい人が1(&#x301c;2)名程度が歩ける程度の幅しか無く「すれ違い」も困難で、まともな舗装も無く、急こう配で、脚の丈夫な人が歩くことがやっとで、広域の物の運送には陸上運送はほとんど使えなかった。そのかわり日本は四周を海に囲まれ、内陸奥深くまで中小規模の河川や湖沼が入り組んでいて水運には向いていたので水運が活用され、(運送全体としては、陸運よりも)沿海部を含めた中小規模の水運のほうが主力であった。時代が下り[[鎌倉時代]](さらに[[江戸時代]]でも)日本では水運が主力であった。[[大阪]]や[[江戸]]の町にも水路がはりめぐらされ、江戸時代(&#x301c;明治時代)には[[北前船]]も活躍した。(日本で陸上運送が水運に並び、やがて抜き、そちらが主力となったのは、あくまで大正、昭和時代以降である。)
 
== 脚注 ==