「松葉会」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
29行目:
[[1960年]](昭和35年)[[4月2日]]、[[毎日新聞]]東京本社を襲撃。組員19名が[[発煙筒]]を焚き、机や椅子を投げ、書類を荒らしまわり、[[輪転機]]に砂を掛けるなど暴れ回った。毎日がヤクザと[[自由民主党 (日本)|自民党]]議員の腐れ縁を書いた事に対する報復であった。このことは国会でも問題になり、時の首相[[岸信介]]は「松葉会と自民党が関係があるようなお話がありましたが、関係はございません<ref>{{Cite web|title=参議院会議録情報第034回国会本会議第16号|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0512/03404060512016a.html|website=kokkai.ndl.go.jp|accessdate=2019-11-29|publisher=国立国会図書館}}</ref>」と答弁した。しかし、その後も祝い事や葬儀に自民党議員の花輪が並んだ。
 
警察による頂上作戦で藤田会長をはじめとした幹部が逮捕されたことで[[1965年]](昭和40年)9月20日に一度は解散が宣言されるも、[[1968年]](昭和43年)に藤田が死去すると[[佐藤栄助]]は旧松葉会の人間一門集めて、糾合し松友会を結成した。[[1973年]](昭和48年)4月[[銀座]]の菊池徳勝を会長として「松葉会」として復活した。[[1996年]](平成8年)3月、[[極東会]]会長・[[松山眞一]](本名 曹圭化)と、松葉会の牧野国泰(本名 李春星)は親戚の血縁盃を交わした<ref>[[山平重樹]]『ヤクザ大全 この知られざる実態』[[幻冬舎]]、1999年、ISBN 4-87728-826-0 のP.327</ref>。
 
[[2009年]](平成21年)3月、跡目問題をめぐり主流派と反主流派との内紛状態になり、反主流派は4月に『松葉会同志会』を結成した<ref>[https://web.archive.org/web/20090309235914/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090307/crm0903071301018-n1.htm 『【衝撃事件の核心】緊迫!指定暴力団松葉会が“分裂” 触手伸ばす山口組、勢力図に変化も』] 2009年3月7日 ''[[産経新聞]]''</ref>。