「ロバート・ジョンソン」の版間の差分

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[[アコースティック・ギター]]一本でブルースを[[弾き語り]]して、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という[[伝説]]が広まった<ref>http://www.openculture.com/</ref>。これがジョンソンにまつわる「'''クロスロード伝説'''」である。
 
[[1936年]]11月、[[テキサス州]][[サンアントニオ]]で初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。[[1937年]]6月には二度目のレコーディングのために[[ダラス]]に赴き、13曲を残している。生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(レコーディングは59残したが、現存するのは42テイク)だけである<ref>[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:MjwFi3LoFQkJ:https://www.discogs.com/ja/artist/272142-Robert-Johnson+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp ロバート・ジョンソン]2021年3月2日閲覧</ref>。当時の南部の黒人社会では、チャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソンの方が人気があり、ロバート・ジョンソンは無名な存在だったという<ref>「ブラック・ミュージック」p.178、ピーター・バラカン著、学研</ref>。
 
翌1938年8月16日、27歳で死去。死因については、毒物を盛られて[[毒#利用|毒殺]]された<ref>「ブラック・ミュージック」p.171、ピーター・バラカン著、学研</ref>など諸説ある。ジョンソンの妹は病死だったとしているが、定かではない。また、亡くなったミシシッピ州[[グリーンウッド (ミシシッピ州)|グリーンウッド]]の役場に提出された[[死亡届]]には、死因に「No Doctor」とだけ記載されている。ちなみにその年の暮れ、その事実を知らなかったプロデューサーの[[ジョン・ハモンド]]が[[カーネギー・ホール]]での開催を予定していた「スピリチュアル・トゥ・スウィング・コンサート」にジョンソンを出演させるため捜し回ったが、すでに亡くなっていたというエピソードが残っている。
 
[[1961年]]にジョンソンのレコーディングがLP『King of Delta Blues Singers』でリリースされ、ジョンソンの音楽は再び注目を集めるようになった。ジョンソンが有名になったのは、ローリング・ストーンズが「ラブ・イン・ベイン」(むなしき愛)をカバーするなど、イギリスのブルースロックのミュージシャンが、彼の曲を取り上げたことによるものだった。
 
[[1989年]]には初めてジョンソンの写真が公開され話題を呼んだ。そして翌[[1990年]]には、これまで未発表だった別テイクも収録した『The Complete Recordings』がリリースされた。このジャケットに使われていた写真は前年公開されたものとは別のもので、これもここで初めて披露されたものであった。2007年、ジョンソンがミュージシャンのジョニー・シャインズと共に写っている写真が発見され、数年に渡る鑑定の結果、2013年2月にジョンソン本人と確認された。
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