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'''二山 治雄'''(にやま はるお、[[1997年]] - )は、日本の[[バレエダンサー]]である。7歳のときに静バレエ・アートにてバレエを始め、小学校5年で[[長野県]][[長野市]]の白鳥バレエ学園に入学して研鑽を積んだ<ref name="静バレエ・アート">{{Cite web|author= |date= |url=http://ak-web-design.com/ballet/%E4%BA%8C%E5%B1%B1%E6%B2%BB%E9%9B%84%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC/ |title=二山治雄(HaruoNiyama) |publisher=子供のはじめてバレエ |accessdate=2016-10-30}}</ref><ref name="読売12月19日12面"/><ref name="読売2月3日2面「顔」">『[[読売新聞]]』2014年2月3日付朝刊、第14版、第2面。</ref>。2014年2月、17歳のときに[[ローザンヌ国際バレエコンクール]]で1位を受賞した<ref name="読売2月3日2面「顔」"/><ref name="読売2月3日1面">『読売新聞』2014年2月3日付朝刊、第14版、第1面。</ref>。同コンクールにおける日本人出場者では、1989年の[[熊川哲也]]、2012年の[[菅井円加]]に続く3人目の1位獲得者である{{refnest|group="注釈"|name="金賞"|熊川の受賞時は「[[金メダル]]」(''Gold Medal'')という呼称であった<ref name="熊川ローザンヌ1989">{{Cite web|author=
|date= |url=http://www.prixdelausanne.org/winners/tetsuya-kumakawa/ |title=Tetsuya Kumakawa |publisher= |language=英語|accessdate=2015-08-30}}</ref>。}}<ref name="読売2月3日2面「顔」"/><ref name="読売2月3日1面"/>。同年4月には、Youth America Grand Prix、[[ユース・アメリカ・グランプリ]]でシニアの部金賞を受賞した<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/><ref name="コンクール歴">{{Cite web|author= |date= |url=http://www.hakucho-ballet.jp/conc.html |title=コンクール入選者 |publisher=白鳥バレエ学園 |accessdate=2015-08-30}}</ref><ref name="読売12月19日12面"/>。
 
== 経歴 ==
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二山の受賞は日本でも大きな話題となり、テレビニュースにもなっていたため本人がびっくりしたほどであった<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/>。3月20日には[[総理大臣]][[安倍晋三]]を訪問し、その後[[文部科学大臣賞|文化関係者文部科学大臣表彰]]を受けた<ref name="読売4月1日10面"/><ref name="私学教育協会">{{Cite web |date= |url=http://w1.avis.ne.jp/~s-gaku/information/data/2015shigaku_shinkoh.pdf |title=第2回長野県私学振興大会開催要項 |format=PDF |publisher=[[公益社団法人]]長野県私学教育協会 |accessdate=2015-12-14}}</ref>。その他にも、いろいろなイベントや舞台への出演機会が増えて生活が一変した<ref name="読売4月1日10面"/><ref name="ダンスマガジン20150984-85"/>。その中で二山自身が印象に残っているイベントは、2014年3月28日の[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]創設80周年記念セレモニーで、[[東京ドーム]]の大観衆の目前で『[[ボレロ (ラヴェル)|ボレロ]]』を踊ったことと、同年9月に「[[サイトウ・キネン・フェスティバル]]松本」で[[小澤征爾]]の指揮するオーケストラと共演したことであった<ref name="読売4月1日10面"/><ref name="ダンスマガジン20150984-85"/>。オーケストラの生演奏で踊るのは「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が初めてだったが、小澤から「歌いながら踊りなさい」とアドバイスを受け、会場の雰囲気も温かかったため気持ちよく踊ることができたという<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/>。
 
2014年4月には、[[ニューヨーク]]で開催されるユースバレエ・アメリカ・グランプリにも挑戦した<ref name="読売4月1日10面"/><ref name="ダンスマガジン20150984-85"/><ref name="読売2月10日13面"/>。ユースバレエ・アメリカ・グランプリは1999年の創設と歴史こそ浅いものの、{{仮リンク|マシュー・ゴールディング([[:|en:|Matthew Golding (dancer)]])}}{{仮リンク|セルゲイ・ポルーニン([[:|en:|Sergei Polunin]])}}などのスターダンサーを輩出した実績を持つコンクールであった<ref name="読売4月1日10面"/>。二山はローザンヌでの映像を見直して、塚田から数秒ごとに「ダメ出し」されるという厳しい指導を受けた<ref name="読売4月1日10面"/>。塚田は当時の二山について「スピード感が足りない。生徒としてはきちんとしているが、お客さんを喜ばせるには盛り上がりに欠ける」と指摘し、二山も「(ローザンヌ1位受賞で)少しは自信が持てましたが、外国のダンサーと比べると容姿の面で不利だと分かった。基礎に戻って一から稽古しなくてはいけないと思いました」と答えていた<ref name="読売4月1日10面"/>。
 
2つのコンクールは全く雰囲気が違い、ローザンヌが将来性を重視する方針をとってクラスレッスンも含めて審査されるのに対して、ユースバレエ・アメリカ・グランプリでは舞台上でのパフォーマンスだけがすべてであった<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/><ref name="読売2月10日13面"/>。ローザンヌ1位受賞の事実が二山のプレッシャーにもなったが、順位は気にせず踊りに集中してシニアの部で金賞を受賞した<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/><ref name="コンクール歴"/><ref name="読売12月19日12面"/>。ただし、二山は「ローザンヌのときほどは思った通りに踊れなかったのが少し残念でした」と反省の言葉も述べていた<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/>。
 
二山はスカラシップでの留学先にサンフランシスコ・バレエ・スクール([[:en:San Francisco Ballet School]])を選び、2014年9月から2015年5月末まで約9か月間留学した<ref name="ダンスマガジン20150984-85"/><ref name="ダンスマガジン2014045"/><ref name="読売12月19日12面">『読売新聞』2014年12月19日付夕刊、第3版、第12面。</ref><ref name="産経ニュース20140525"/><ref name="サンフランシスコ">{{Cite web|author= |date= |