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[[File:Blason Murdoch Stuart (1362-1425) Duc d'Albany.svg|180px|thumb|マリ伯爵ステュアート家の紋章]]
'''マリ伯爵'''(Earl of Moray {{IPA-en|ˈmʌri|}})は、[[スコットランド貴族]]の[[伯爵]]位。過去に5回創設されており、[[1562年]]に[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]の私生児[[ジェームズ・ステュアート (初代マリ伯)|ジェームズ・ステュアート]]が叙せられた第5期のものが現存している。
 
== 歴史 ==
=== 第1期から第4期 ===
スコットランドの[[マレー (スコットランド)|マリ]]は[[1130年]]にスコットランド王[[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]<small>(1080年頃-1153年, 在位1124年-1153年)</small>に征服されて[[スコットランド王国]]に併合されるまで{{仮リンク|マリのモーマー|label=モーマー(領主)|en|Mormaer of Moray}}という統治者によって統治されてきた。スコットランド王位継承が[[タニストリー]]であった時代に[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]で有名な[[マクベス (スコットランド王)|マクベス]]<small>(1005年-1057年, 在位1040年-1057年)</small>が王位に就いているが、彼は異説もあるものの、おそらくマリのモーマー{{仮リンク|フィンレック・オブ・マリ|label=フィンレック|en|Findláech of Moray}}<small>(Findláech, 生没年不詳)</small>とスコットランド王[[マルカム2世 (スコットランド王)|マルカム2世]]<small>(954年-1034年, 在位1005年-1034年)</small>の娘ドウナダ<small>(Donada, 生没年不詳)</small>の間の子であった{{sfn|森護|1988|p=33-34}}。
 
[[1130年]]にマリがスコットランドに併合された後もマリはイングランド軍に占領されることが少ない地域だったため、スコットランドのイングランドへの抵抗運動において隠れ場所や兵員募集の拠点として重要な地域となった。イングランドから独立してスコットランド王に即位した[[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]<small>(1274年-1329年, 在位1306年-1329年)</small>は、[[1312年]]に甥にあたると言われる{{仮リンク|トマス・ランドルフ (初代マリ伯)|label=トマス・ランドルフ|en|Thomas Randolph, 1st Earl of Moray}}<small>(生年不詳-1332年)</small>に最初のマリ伯位を与えている。かつてのマリのモーマーの領土に加えて、マリの沿岸地域の王領も領土とされた<ref name="OxfordScottishMormaerMoray">''Oxford Companion to Scottish History''. Edited by Michael Lynch. Oxford University Press. pp. 428–430. {{ISBN|978-0-19-923482-0}}.</ref>。初代マリ伯は[[バノックバーンの戦い]]や{{仮リンク|オールド・バイランドの戦い|en|Battle of Old Byland}}でロバート1世の指揮下でイングランド軍と戦った後、[[1329年]]から[[1332年]]にかけてロバート1世の跡を継いで即位した[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]<small>(1324年-1371年, 在位1329-1371)</small>の摂政を務めた<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p21352.htm#i213514|title=Thomas Randolph, 1st Earl of Moray|accessdate= 2017-11-17 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。しかし息子の3代マリ伯{{仮リンク|ジョン・ランドルフ (第3代マリ伯)|label=ジョン・ランドルフ|en|John Randolph, 3rd Earl of Moray}}<small>(生年不詳-1346年)</small>は、子供のないまま暗殺されたため、最初のマリ伯は廃絶した。
 
=== 第5期 ===
[[file:James Stewart Earl of Moray.jpg|180px|thumb|初代マリ伯[[ジェームズ・ステュアート (初代マリ伯)|ジェームズ・ステュアート]]]]
[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]の私生児[[ジェームズ・ステュアート (初代マリ伯)|ジェームズ・ステュアート]]<small>(1531年頃–1570年)</small>は、1561年にフランスから帰国した異母妹[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー女王]]<small>(1542年-1587年,在位1542年-1567年)</small>の政治顧問となり{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=485}}、[[1562年]][[1月30日]]にアバーネシー=ストラサーン卿<small>(Lord Abernethy and Strathdearn)</small>とともに第5期のマリ伯に叙せられた。当初は男系男子に限られる爵位であったが、1566年6月1日に男子なき場合に女子が相続する爵位に変更されている。1562年2月7日には[[マー伯爵]]にも叙せられていたが、この爵位は数か月後に返上している<ref name="CP EM">{{Cite web |title=Moray, Earl of (S, 1561/2)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/moray1561.htm|accessdate= 2017-11-16|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10833.htm#i108329|title=James Stewart, 1st Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。初代伯は徐々に女王との関係を悪化させ、[[1565年]]には女王とダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュアート]]<small>(1545年-1567年)</small>の結婚に反対して反乱を起こすも敗れてイングランドへ逃れたが、[[1567年]]に女王が退位すると帰国して甥[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]の摂政に就任したプロテスタント政策・親イングランド政策を推進したが、メアリー女王支持派の[[ハミルトン氏族|ハミルトン家]]の者に[[暗殺]]されるという最期を迎えた{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=485}}{{sfn|ナイジェル・トランター|杉本優|1997|p=237-238}}{{sfn|小林麻衣子|2014|p=35,41}}。
 
初代伯は男子がなかったため、長女[[エリザベス・ステュアート (第2代マリ女伯爵)|エリザベス・ステュアート]]<small>(生年不詳-1591年)</small>が第2代マリ女伯を継承し、その夫である第2代ドゥーン卿{{仮リンク|ジェムズ・ステュアート (第2代マリ伯)|label=ジェムズ・ステュアート|en|James Stewart, 2nd Earl of Moray}}<small>(1565年頃-1592年)</small>も{{仮リンク|妻の権利|en|Jure uxoris}}でマリ伯の称号を使用した<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p2507.htm#i25066|title=James Stuart, 2nd Lord Doune|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。しかし[[1591年]]に[[ボスウェル伯]]{{仮リンク|フランシス・ステュアート (第5代ボスウェル伯爵)|en|Francis Stewart, 5th Earl of Bothwell|label=フランシス・ステュアート}}が[[ホリールード宮殿]]へ侵入してジェームズ6世の命を狙う事件を起こすと、共犯と疑われたドゥーン卿は王の命令を受けた第6代ハントリー伯爵{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (初代ハントリー侯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 1st Marquess of Huntly}}に殺害された{{sfn|ナイジェル・トランター|杉本優|1997|p=250-254}}{{sfn|小林麻衣子|2014|p=221,262}}
 
2代女伯夫妻の長男[[ジェムズ・ステュアート (第3代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]]<small>(生年不詳-1638)</small>は母から3代マリ伯、父からドゥーン卿を継承し、以降ドゥーン卿がマリ伯の従属爵位に加わった。また父の従兄弟にあたる第2代セント・コルム卿ジェムズ・ステュアート<small>(生没年不詳)</small>が男子なく死去した後には初代に遡った継承が可能な{{仮リンク|セント・コルム卿|en|Lord St. Colme}}も継承して従属爵位に加えた<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p2507.htm#i25070|title=James Stuart, 3rd Earl of Moray|accessdate= 2017-11-21 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
その孫の5代伯[[アレグザクサンダー・ステュアート (第5代マリ伯)|アレグザクサンダー・ステュアート]] <small>(生年不詳-1701)</small>は1680年から1689年にかけてスコットランドの{{仮リンク|国務大臣 (スコットランド大臣)|label=国務大臣|en|Secretary of State (Kingdom of Scotland)}}を務めたが、晩年には[[ジャコバイト]]の疑いをかけられて投獄された<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p2508.htm#i25076|title=Alexander Stuart, 5th Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
その息子の6代伯[[チャールズ・ステュアート (第6代マリ伯)|チャールズ・ステュアート]]<small>(生年不詳-1735)</small>は、襲爵前の[[1681年]][[9月23日]]にノヴァスコシアの準男爵に叙せられているが、[[1707年]]から[[1708年]]にかけてジャコバイトの疑いをかけられて投獄された。また子供がなかったため、準男爵位は彼一代で廃絶した<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p2510.htm#i25097|title=Charles Stuart, 6th Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
6代伯の死後、弟の[[フランシス・ステュアート (第7代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<small>(生年不詳-1739)</small>が7代伯を継承した。その死後、その息子の[[ジェムズ・ステュアート (第8代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]]<small>(1708–1767)</small>が8代伯爵を継承し、スコットランド[[貴族代表議員]]として[[貴族院 (イギリス)|イギリス貴族院]]議員を務め、またスコットランドの[[フリーメイソン]]のグランドマスターを務めた<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1092.htm#i10919|title=James Stuart, 8th Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
その息子の9代伯[[フランシス・ステュアート (第9代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<small>(1737–1810)</small>もスコットランド貴族代表議員として[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]所属の貴族院議員を務めていたが、[[1796年]][[6月4日]]に[[グレートブリテン貴族]]爵位'''インヴァーネス州におけるステュアート城のステュアート男爵'''<small>(Baron Stuart, of Castle Stuart in the County of Inverness)</small>に叙せられたことにより、以降の当主は自動的に貴族院議員に列することとなった<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1880.htm#i18798|title=Francis Stuart, 9th Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
その息子の10代伯[[フランシス・ステュアート (第10代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<small>(1771–1848)</small>は、スコットランド・フリーメイソンのグランドマスターを務めた。10代伯の死後はその息子たちによる兄弟継承が14代伯[[ジョージ・ステュアート (第14代マリ伯爵)|ジョージ・ステュアート]]まで続いた<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p2512.htm#i25113|title=Francis Stuart, 10th Earl of Moray|accessdate= 2017-11-9 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
14代伯の死後は9代伯に遡っての分流によって継承されるようになった。17代伯[[モートン・グレイ・ステュアート (第17代マリ伯)|モートン・グレイ・ステュアート]]{{Small|(1855–1930)}}の三男{{仮リンク|ジェムズ・ステュアート (フィンドホーンの初代ステュアート子爵)|label=ジェムズ・ステュアート|en|James Stuart, 1st Viscount Stuart of Findhorn}}<small>(1897–1971)</small>は、[[保守党 (イギリス)|保守党]]の政治家として活躍し、1951年から1957年にかけては[[スコットランド大臣]]を務め、その退任後の1959年11月20日に[[連合王国貴族]]マリ州におけるフィンドホーンの{{仮リンク|フィンドホーンのステュアート子爵|en|Viscount Stuart of Findhorn}}{{small|(Viscount Stuart of Findhorn, of Findhorn in the County of Moray)}}に叙せられた。以降フィンドホーンのステュアート子爵家はマリ伯爵家の分流の貴族として続いている<ref name="CP EM">{{Cite web |title=Moray, Earl of (S, 1561/2)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/moray1561.htm|accessdate= 2017-11-16|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
 
[[2019年]]現在のマリ伯爵家の当主は21代マリ伯[[ジョン・ステュアート (第21代マリ伯)|ジョン・ステュアート]]<small>(1966-)</small>である<ref name="CP EM"/><ref>{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/stuart1959.htm|title=Stuart of Findhorn, Viscount (UK, 1959)|accessdate= 2019-9-8 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
 
== 現当主の保有爵位 ==
 
=== マリ伯 第5期 (1562年) ===
*初代マリ伯[[ジェームズ・ステュアート (初代マリ伯)|ジェームズ・ステュアート]] (1531頃–1570)
*2代マリ女伯[[エリザベス・ステュアート (第2代マリ女伯爵)|エリザベス・ステュアート]] (生年不詳-1591) - <small>先代の娘</small>
**2代マリ伯{{仮リンク|ジェムズ・ステュアート (第2代マリ伯)|label=ジェムズ・ステュアート|en|James Stewart, 2nd Earl of Moray}} (生年不詳-1592) - <small>彼女の夫</small>
*3代マリ伯[[ジェムズ・ステュアート (第3代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]] (生年不詳-1638) - <small>先代の息子</small>
*4代マリ伯[[ジェムズ・ステュアート (第4代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]] (生年不詳-1653) - <small>先代の息子</small>
*5代マリ伯[[アレグザクサンダー・ステュアート (第5代マリ伯)|アレグザクサンダー・ステュアート]] (生年不詳-1701)- <small>先代の息子</small>
*6代マリ伯[[チャールズ・ステュアート (第6代マリ伯)|チャールズ・ステュアート]] (生年不詳-1735) - <small>先代の息子</small>
*7代マリ伯[[フランシス・ステュアート (第7代マリ伯)|フランシス・ステュアート]] (生年不詳-1739) - <small>先代の弟</small>
*8代マリ伯[[ジェムズ・ステュアート (第8代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]] (1708–1767) - <small>先代の息子</small>
*9代マリ伯[[フランシス・ステュアート (第9代マリ伯)|フランシス・ステュアート]] (1737–1810) - <small>先代の息子</small>
*10代マリ伯[[フランシス・ステュアート (第10代マリ伯)|フランシス・ステュアート]] (1771–1848) - <small>先代の息子</small>
*11代マリ伯[[フランシス・ステュアート (第11代マリ伯)|フランシス・ステュアート]] (1795–1859) - <small>先代の息子</small>
*12代マリ伯[[ジョン・ステュアート (第12代マリ伯)|ジョン・ステュアート]] (1797–1867) - <small>先代の弟</small>
*13代マリ伯[[アーチボルド・ジョージ・ステュアート (第13代マリ伯)|アーチボルド・ジョージ・ステュアート]] (1810–1872) - <small>先代の弟</small>
*14代マリ伯[[ジョージ・ステュアート (第14代マリ伯)|ジョージ・フィリップ・ステュアート]] (1816–1895) - <small>先代の弟</small>
*15代マリ伯[[エドンド・ステュアート (第15代マリ伯)|エドンド・アーチボルド・ステュアート]] (1840–1901) - <small>先代の従兄弟の息子</small>
*16代マリ伯[[フランシス・ステュアート (第16代マリ伯)|フランシス・ジェイムズ・ステュアート]] (1842–1909) - <small>先代の弟</small>
*17代マリ伯[[モートン・グレイ・ステュアート (第17代マリ伯)|モートン・グレイ・ステュアート]] (1855–1930) - <small>先代の弟</small>
*18代マリ伯[[フランシス・ダグラス・ステュアート (第18代マリ伯)|フランシス・ダグラス・ステュアート]] (1892–1943) - <small>先代の息子</small>
*19代マリ伯[[アーチボルド・ステュアート (第19代マリ伯)|アーチボルド・ジョン・モートン・ステュアート]] (1894–1974) - <small>先代の弟</small>
*20代マリ伯{{仮リンク|ダグラス・ステュアート (第20代マリ伯)|label=ダグラス・ジョン・マリ・ステュアート|en|Douglas Stuart, 20th Earl of Moray}} (1928–2011) - <small>先代の息子</small>
*21代マリ伯[[ジョン・ステュアート (第21代マリ伯)|ジョン・ダグラス・ステュアート]] (1966-) - <small>先代の息子</small>
**[[法定推定相続人]]は現当主の息子ドゥーン卿(儀礼称号)ジャック・アレグザンダー・ステュアート (2002-)
== 家系図 ==
border=0|EM=<small>1562年{{font color||LightBlue|マリ伯(5期)}}</small>|LD=<small>1581年ドゥーン卿</small>|EH=<small>1549年{{font color||MediumOrchid|マリ伯(4期)}}</small>}}
{{familytree |1EM| |1LD| | | |4EH|
1EM='''{{font color||LightBlue|初代マリ伯}}'''<br>[[ジェームズ・ステュアート (初代マリ伯)|ジェームズ・ステュアート]]<br>(1531頃–1570)|MS=マーガレット・ステュアート<br>(生没年不詳)|4EH=4代ハントリー伯<br>'''{{font color||MediumOrchid|初代マリ伯}}'''<br>{{仮リンク|ジョージ・ゴードン (第4代ハントリー伯爵)|label=ジョージ・ゴードン|en|George Gordon, 4th Earl of Huntly}}<br>(1514–1562)|1LD=初代ドゥーン卿<br>ジェムズ・ステュアート<br>(1529頃-1590)}}
{{familytree | |!| | | |!| | | | |EH|
border=0|EH=<small>{{font color||MediumOrchid|マリ伯(4期)}}剥奪</small>}}
border=0|LS=<small>1611年セント・コルム卿</small>}}
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ES='''{{font color||LightBlue|2代マリ女伯}}'''<br>{{仮リンク|エリザベス・ステュアート (第2代マリ)|label=エリザベス・ステュアート|en|Elizabeth Stuart, 2nd Countess of Moray}}<br>(生年不詳-1591)|2LD='''{{font color||LightBlue|マリ伯}}'''<br>2代ドゥーン卿<br>{{仮リンク|ジェムズ・ステュアート (第2代マリ伯)|label=ジェムズ・ステュアート|en|James Stewart, 2nd Earl of Moray}}<br>(生年不詳-1592)|1LS=初代セント・コルム卿<br>ヘンリー・ステュアート<br>(生年不詳-1612)}}
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3EM='''{{font color||LightBlue|3代マリ伯}}'''<br><small>3代ドゥーン卿<br>3代セント・コルム卿</small><br>[[ジェムズ・ステュアート (第3代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]]<br>(生年不詳-1638)|2LS=2代セント・コルム卿<br>ジェムズ・ステュアート<br>(生年不詳-1620頃)}}
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4EM='''{{font color||LightBlue|4代マリ伯}}'''<br><small>4代ドゥーン卿<br>4代セント・コルム卿</small><br>[[ジェムズ・ステュアート (第4代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]]<br>(生年不詳-1653)}}
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5EM='''{{font color||LightBlue|5代マリ伯}}'''<br><small>5代ドゥーン卿<br>5代セント・コルム卿</small><br>[[アレグザクサンダー・ステュアート (第5代マリ伯)|アレグザクサンダー・ステュアート]]<br>(生年不詳-1701)}}
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6EM='''{{font color||LightBlue|6代マリ伯}}'''<br><small>6代ドゥーン卿<br>6代セント・コルム卿</small><br>[[チャールズ・ステュアート (第6代マリ伯)|チャールズ・ステュアート]]<br>(生年不詳-1735)|7EM='''{{font color||LightBlue|7代マリ伯}}'''<br><small>7代ドゥーン卿<br>7代セント・コルム卿</small><br>[[フランシス・ステュアート (第7代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<br>(生年不詳-1739)}}
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8EM='''{{font color||LightBlue|8代マリ伯}}'''<br><small>8代ドゥーン卿<br>8代セント・コルム卿</small><br>[[ジェムズ・ステュアート (第8代マリ伯)|ジェムズ・ステュアート]]<br>(1708–1767)}}
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9EM='''{{font color||LightBlue|9代マリ伯}}'''<br><small>9代ドゥーン卿<br>9代セント・コルム卿</small><br>[[フランシス・ステュアート (第9代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<br>(1737–1810)}}
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10EM='''{{font color||LightBlue|10代マリ伯}}'''<br><small>10代ドゥーン卿<br>10代セント・コルム卿</small><br>[[フランシス・ステュアート (第10代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<br>(1771–1848)|AS=アーチボルド・ステュアート<br>(1771-1832)}}
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border=0|VS=<small>1959年{{仮リンク|フィンドホーンのステュアート子爵|label=ステュアート子爵|en|Viscount Stuart of Findhorn}}</small>}}
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18EM='''{{font color||LightBlue|18代マリ伯}}'''<br><small>18代ドゥーン卿<br>18代セント・コルム卿</small><br>[[フランシス・ダグラス・ステュアート (第18代マリ伯)|フランシス・ステュアート]]<br>(1892–1943)|19EM='''{{font color||LightBlue|19代マリ伯}}'''<br><small>19代ドゥーン卿<br>19代セント・コルム卿</small><br>[[アーチボルド・ステュアート (第19代マリ伯)|アーチボルド・ステュアート]]<br>(1894–1974)|1VS=初代ステュアート子爵<br>{{仮リンク|ジェムズ・ステュアート (フィンドホーンの初代ステュアート子爵)|label=ジェムズ・ステュアート|en|James Stuart, 1st Viscount Stuart of Findhorn}}<br>(1897-1971)}}
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20EM='''{{font color||LightBlue|20代マリ伯}}'''<br><small>20代ドゥーン卿<br>20代セント・コルム卿</small><br>{{仮リンク|ダグラス・ステュアート (第20代マリ伯)|label=ダグラス・ステュアート|en|Douglas Stuart, 20th Earl of Moray}}<br>(1928–2011)|VS=}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|year=2000|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=[[森護]]|year=1988|title=スコットランド王国史話|publisher=[[大修館書店]]|id=ISBN 978-4469242560|ref=harv}}
* [[ナイジェル・トランター]]著、[[杉本優]]訳『スコットランド物語』[[大修館書店]]、1997年。
* [[小林麻衣子]]『近世スコットランドの王権 <small>-ジェイムズ六世と「君主の鑑」-</small>』[[ミネルヴァ書房]]、2014年。
 
== 関連項目 ==