「暗峠」の版間の差分

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峠の頂上には小さな集落があり、茶店もある。この付近の路面は江戸時代に[[郡山藩]]により敷設された石畳となっている。この50mほどあるコンクリート舗装の石畳は、暗峠が急坂であることから、[[参勤交代]]で殿様が乗った籠が滑らないようにするために敷かれたものである{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。なお、国道に指定されている道で石畳状の路面を呈するものは、国内で唯一この暗峠のみである{{Sfn|佐藤健太郎|2014|p=72}}。
 
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であった説や、「椋嶺峠」が転じた説[http://web.oml.city.osaka.lg.jp/net/osaka/osaka_faq/63faq.html#63-200703-001]、「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って「暗がり」となったとする異説{{要出典|date=2017年10月}}もある。上方落語[[伊勢参宮神乃賑]]の枕では、「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、鞍返り峠と言われるようになった」と語られている[https://osaka-aoyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=26&item_no=1&page_id=13&block_id=17]。
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であった説や、
「椋嶺峠」が転じた説[http://web.oml.city.osaka.lg.jp/net/osaka/osaka_faq/63faq.html#63-200703-001]、
「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って「暗がり」となったとする異説{{要出典|date=2017年10月}}もある。上方落語[[伊勢参宮神乃賑]]の枕では、「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、鞍返り峠と言われるようになった」と語られている[https://osaka-aoyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=26&item_no=1&page_id=13&block_id=17]。
 
暗峠を通る暗越奈良街道は「[[日本の道100選]]」に選定されており、峠頂部の石畳の道端には、日本の道100選の顕彰碑が置かれている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。[[今西祐行]]作の絵本『とうげのおおかみ』の舞台
[[今西祐行]]作の絵本『とうげのおおかみ』の舞台。
 
== 歴史 ==