「アン・オブ・デンマーク」の版間の差分

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| 結婚 =
| 配偶者1 = [[イングランド王国|イングランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]
| 子女 = [[#子女|一覧参照]]
| 子女 = [[ヘンリー・フレデリック・ステュアート|ヘンリー・フレデリック]]<br>[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]<br>[[エリザベス・ステュアート|エリザベス]]
| 氏族 =
| 家名 = [[オルデンブルク家]]
 
== 略歴・人物 ==
[[1585年]]にジェームズ6世と婚約したが、初めデンマーク=ノルウェーがスコットランドへ影響をおよぼすことを恐れたイングランド女王[[エリザベス1世]]の反対で、ジェームズ6世が一旦縁談を諦めた。しかし[[1587年]]にジェームズ6世の母で前スコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]がエリザベス1世に処刑されると、スコットランド貴族達が縁談を蒸し返し実現する運びとなり、[[1589年]][[8月20日]]にジェームズ6世の代理を立てた結婚式を挙げ、[[11月23日]]に直接[[ノルウェー]]の[[オスロ]]まで出向いたジェームズ6世と結婚した。翌[[1590年]]4月にジェームズ6世は新妻アンと一緒に船に乗ってスコットランドへ帰国したが、途中で遭遇した嵐が魔女の仕業とされ、魔女裁判が断行される騒ぎになった<ref>森(1986)、P391 - P392、P400、トランター、P248 - P250。</ref><ref name="森1994">森(1994)、P25。</ref><ref name="松村25">松村、P25。</ref>。
[[1589年]]、[[ノルウェー]]の[[オスロ]]でジェームズと結婚した。ブロンドの美貌の女性であったという。
 
ブロンドの美貌の女性であったという。しかし軽薄で浪費癖があり、スコットランドの王妃であったころから財政を脅かし、宝石好きが高じて装飾品を買い込み、金細工師兼金貸しの{{仮リンク|ジョージ・ヘリオット|en|George Heriot}}から借金を重ねた。また夫との間に諍いが絶えず、長男[[ヘンリー・フレデリック・ステュアート|ヘンリー・フレデリック]]を産んだことが諍いのきっかけになり、アンが父に因んで息子にフレデリックと名付けたかったのに対し、ジェームズ6世はヘンリーと名付けたかったことで争い(最終的に複合名ヘンリー・フレデリックで決着)、ヘンリー・フレデリックを[[スターリング城]]から出さない夫に対し強引に城から出そうと画策したことで夫婦は一層疎遠になった<ref name="森1994"></ref><ref name="松村25"></ref><ref name="森1986">森(1986)、P401。</ref><ref>トランター、P254 - P256、P263。</ref>。
軽薄で浪費癖があり、スコットランドの王妃であったころから財政を脅かした。[[ロンドン]]へ移ってからはイングランド宮廷の華美な行事や催し物が気に入り、[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]などの劇作家による[[仮面劇]]をたびたび催し、自分も演じたという。侍女や側近を多数連れての大旅行を好み、保養地[[バース (イギリス)|バース]]はお気に入りだった。また、建築狂いで、妙な建築物を多数つくって莫大な負債を残した。
 
軽薄で浪費癖[[1603年]]に夫あり、スコットイングランド妃であったころから財政を脅かに即位したため[[ロンドン]]へ移ってからはイングランド宮廷の華美な行事や催し物が気に入り、[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]などの劇作家による[[仮面劇]]をたびたび催し、自分も演じたという。侍女や側近を多数連れての大旅行を好み、保養地[[バース (イギリス)|バース]]はお気に入りだった。また、建築狂いで、妙な建築物を多数つくって莫大な負債を残し夫を困らせ<ref name="森1994"></ref><ref name="松村25"></ref><ref name="森1986"></ref>
結婚当初は[[プロテスタント]]であったが、ロンドン移転後の翌年に[[カトリック教会|カトリック]]に改宗した。理由は不明である。そして死の床で、「プロテスタントであった」と告白して亡くなった<ref name=M401>森、p. 401</ref>。アンが亡くなると莫大な負債が残され、夫王ジェームズは悩まされることになった。彼女については「空っぽの頭」(Empty Headed)と酷評する人もいたという<ref name=M401 />。
 
信仰に判然としない所も夫の悩みになり、結婚当初は[[プロテスタント]]であったが、ロンドン移転後の翌[[1604]]に[[カトリック教会|カトリック]]に改宗した理由は不明である。そしておきながら死の床で自分はプロテスタントであった」と告白して亡くなった<ref name=M401>森、p. 401</ref>。アンが亡くなると莫大な負債が残され、夫王ジェームズは悩まされることになった。彼女については「空っぽの頭」(Empty Headed)と酷評する人もいたという<ref name=M401"森1994"></ref><ref name="松村25"></ref><ref name="森1986"></ref>。
 
政治に容喙しなかったが、夫に[[ロンドン塔]]へ投獄された[[ウォルター・ローリー]]に息子共々肩入れし、鬱病気味だった所をローリーに調合した薬を与えられたと言われ、夫に釈放を掛け合った。また実現しなかったが、[[1606年]]にアンの弟クリスチャン4世がローリーを招聘したいとジェームズ1世に申し入れ、[[ギアナ地方|ギアナ]]を征服してプロテスタント国家で[[スペイン]]包囲網を敷こうとした<ref name="松村25"></ref><ref>櫻井、P35、P236。</ref>。
 
== 子女 ==
王ジェームズとの間に3男4女を生んだが、成人したのは1男1女、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]と、[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]の妃[[エリザベス・ステュアート|エリザベス]](エリーザベト)だった。長男[[ヘンリー・フレデリック・ステュアート|ヘンリー]]は国民的人気があり、18歳で早世しなければ[[イングランド内戦]]も、またチャールズ1世の処刑もなかっただろうとさえ言われた<ref>森、p. 402</ref>。また、娘エリザベスの孫が[[ハノーヴァー朝]]初代の[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]である<ref>森(1986)、P401 - P403。</ref>
 
* [[ヘンリー・フレデリック・ステュアート|ヘンリー・フレデリック]](1594年 - 1612年) - [[皇太子|王太子]]のまま早世
* [[エリザベス・ステュアート|エリザベス]](1596年 - 1662年) - [[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]妃
* マーガレット(1598年 - 1600年)
* [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ]](1600年 - 1649年) - イングランド王チャールズ1世
 
== 参考文献 ==
* [[森護]] 『英国王室史話』 [[大修館書店]]、1986年
* 森護『英国王室史事典』大修館書店、1994年。
* [[ナイジェル・トランター]]著、[[杉本優]]訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。
* [[松村赳]]・[[富田虎男]]編『英米史辞典』[[研究社]]、2000年。
* [[櫻井正一郎]]『サー・ウォルター・ローリー <small>-植民と黄金-</small>』[[人文書院]](龍谷叢書)、2006年。
 
{{イングランドの王妃}}