「利用者:08-DYI/下書き3」の版間の差分

編集の要約なし
タグ: 差し戻し済み
タグ: 差し戻し済み
 
これがイングランドにおけるステュアート朝の幕開けとなり、以後イングランドとスコットランドは、[[1707年]]に[[合同法 (1707年)|合同]]して[[グレートブリテン王国]]となるまで、共通の王と異なる政府・議会を持つ同君連合体制をとることとなる。イギリス史ではこれを[[王冠連合]]と呼ぶ。イングランドの宮廷生活に満足したジェームズ1世は、その後スコットランドには1度しか帰ることがなかった{{#tag:ref|同君連合という都合上紋章を改訂する必要に迫られ、4分割した紋章の盾の左上の位置は優位の位置であり、イングランド・スコットランドどちらの紋章を置くかが問題になった。解決策として新たに2種類の紋章を改訂、イングランドではイングランドの紋章を左上に置いた紋章を、スコットランドではスコットランドの紋章を左上に置いた紋章を使い分けることにした。この伝統は現在も王室に引き継がれている{{sfn|森護|1988|p=303-307}}。|group=注釈}}。
 
即位直後に2つの陰謀事件が発覚({{仮リンク|メイン陰謀事件|en|Main Plot}}・{{仮リンク|バイ陰謀事件|en|Bye Plot}})、先代の寵臣の1人だった[[ウォルター・ローリー]]をメイン陰謀事件に連座したため投獄しているが、ソールズベリー伯と[[ノーサンプトン伯爵]][[ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯)|ヘンリー・ハワード]]がジェームズ1世にローリーへの讒言を吹き込んだことも原因に挙げられる。ローリーは死刑判決を受けるも未執行のままロンドン塔で過ごし、[[1616年]]に南米[[ギアナ地方|ギアナ]]に黄金があるという話を当てにしたジェームズ1世によりロンドン塔から出され南米へ出発したが、黄金を見つけられなかった上現地でスペイン部隊と交戦、スペインに損害を与えれば死刑にするという出発前にジェームズ1世と交わした約束もあり、スペインからの抗議を受けたジェームズ1世により[[1618年]]の帰国後に処刑された{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=114}}{{sfn|森護|1986|p=394-395}}{{sfn|木村俊道|2003|p=225}}{{sfn|櫻井正一郎|2008|p=11-12,56-57,61-62}}{{sfn|今井宏|1990|p=130}}。
 
==== スコットランド遠隔支配 ====
 
==== 議会に対して ====
ジェームズ1世はエリザベス体制を継続するという暗黙の条件でやってきていたため、ソールズベリー伯やベーコンを助言者として重用し続けた一方、先代の寵臣の1人だった[[ウォルター・ローリー]]は特権を取り上げて投獄している{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=114}}。ただしこの時、ソールズベリー伯などジェームズ1世によって重用されたり援助した者の多くは[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]での仕官だったため、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]で国王側の者が少なくなった。当時、貴族院と庶民院はそれぞれその院内の者しか発言権がなかったため、後々になってジェームズ1世は議会に対して不利になっていく{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=114}}<ref name=":0" />。
 
ただ、ジェームズ1世は議会を無視して王権を振るった印象が強いが、イングランド王位継承直後は「議会との協調」を発言し、エリザベス1世に比べても議会を開催した回数は少なくなく、8期会(36か月)行っている<ref name=":0" />。
 
==== 宗教政策 ====
1604年、ジェームズ1世は[[ハンプトン・コート宮殿]]に[[イングランド国教会]]や[[ピューリタン]]など宗教界の代表者たちを招いて会議を行った({{仮リンク|ハンプトン・コート会議|en|Hampton Court Conference}})。この中でジェームズ1世は、カトリックとピューリタンの両極を排除することを宣言したが、これによりカトリックとピューリタンの両方から反感を買うことになった{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=116}}{{sfn|森護|19881986|p=309395}}。
 
翌[[1605年]]には[[ガイ・フォークス]]らカトリック教徒による、国王・重臣らを狙った爆殺未遂事件([[火薬陰謀事件]])が起こった。なお、[[1611年]]に刊行された[[欽定訳聖書]]は、ジェームズ1世の命により国教会の典礼で用いるための標準訳として翻訳されたものである(この欽定訳聖書を作るための組織メンバーに{{仮リンク|ランスロット・アンドリューズ|en|Lancelot_Andrewes}}などがおり、フランシス・ベーコンに代表される科学と宗教の両立的発展があった知的なメンバーの集いにもなった){{sfn|ベンジャミン・ファリントン|松川七郎|中村恒矩|1968|p=95-96}}{{sfn|ジョージ・マコーリー・トレヴェリアン|大野真弓|1974|p=117}}{{sfn|森護|1986|p=395-396}}。
 
==== 連合統一政策 ====
[[1614年]]からは国王の統一政策への反対の声が強くなったり、財政の逼迫にもかかわらず議会から十分な課税ができないことなど、議会を自らの首を絞める存在として強く意識するようになり、議会を7年ほど開催しなくなる<ref name=":0" />。
 
[[1618年]]に勃発した[[三十年戦争]]において、プファルツ選帝侯[[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]はその当事者となったが、1621年には完全に[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]側に押され、[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]に亡命する事態になっていた。そのためジェームズ1世は、娘婿を助けようと7年ぶりに議会を開き、資金を集めようとした<ref name=":0" />。このとき中心的に動いた人物としてベーコンがおり、それが故にベーコンは失脚の憂き目に会う。
 
[[1622年]]には[[ホワイトホール宮殿]]の拡張を実施し、[[イニゴ・ジョーンズ]]の設計による[[バンケティング・ハウス]]を完成させた。
* 幼い頃、[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]の玉座に座っていた際、屋根に穴を発見し「この議会には穴がある」と言ったところ、直後に重臣の一人が暗殺され、予言者との評判を得た。
* 「ブリテンの[[ソロモン]]王」の異名をとったが、それはソロモン王のように賢いというほめ言葉であると同時に、父親がダーンリーではなく母の秘書の{{仮リンク|デイヴィッド・リッチオ|en|David Rizzio}}だろう(デイヴィッド=ソロモンの父[[ダビデ]]のこと)という悪口でもあった。この発言者はフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]と言われている。また、「最も賢明で愚かな王」という発言もアンリ4世、あるいは彼の側近であるシュリー公{{仮リンク|マクシミリアン・ド・ベテュヌ (シュリー公)|en|Maximilien de Béthune, Duke of Sully|label=マクシミリアン・ド・ベテュヌ}}の物とされる{{sfn|森護|1988|p=303}}{{sfn|ナイジェル・トランター|杉本優|1997|p=230}}{{sfn|小林麻衣子|2014|p=2}}。
* 男色の愛人をしばしば重用、スコットランド王時代ではレノックス公、イングランド王時代ではブリストル伯、サマセット伯、バッキンガム公が愛人に挙げられる。彼等の存在は深刻なトラブルを招き、レノックス公の場合はリヴァンの襲撃、バッキンガム公は宮廷や議会の派閥抗争、サマセット伯に至っては殺人事件を引き起こしている{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=369}}{{sfn|櫻井正一郎|2008|p=20,88}}。
* 『バシリコン・ドーロン』で君主の振る舞いが人々の判断を左右させることを指摘、中庸を主とした質素な食事、テーブルマナーの礼儀正しさ、服装にも気を使うことを忠告している。反面、ジェームズ1世自身の振る舞いはそうした助言とは程遠い物で、礼儀作法が無い野蛮な言動を同時代人に記録されている。しかし人々が優雅な振る舞いに惑わされること、礼儀を人々の意識に植え付けることが秩序維持に役立つことを熟知しており、『バシリコン・ドーロン』は後世において参考にされるほど政治において重要な作品になっていった。また、服装がだらしなく、男色にふけり派手な宮廷生活に汚職とスキャンダルの噂が絶えないにも関わらず、意見を率直に語り家臣には親しみやすく信頼されていた(対するチャールズ1世は父と全く違う性格で、妻子を大切にする家庭人で、質素な宮廷生活を送り、汚職を厳しく取り締まり、寡黙で近寄りがたい人間だった){{sfn|小林麻衣子|2014|p=190-198}}{{sfn|君塚直隆|2015|p=7,11}}。
* [[1601年]][[4月15日]]にスコーン・ロッジの[[フリーメイソン]]に加入している<ref name="Grand Lodge">{{Cite web |url= http://freemasonry.bcy.ca/biography/james_vi/james_vi.html |title= James VI of Scotland |accessdate= 2014-9-25 |work= [http://freemasonry.bcy.ca/grandlodge.html Grand Lodge of British Columbia and Yukon] |language= 英語 }}</ref>。
* [[木村俊道]]『顧問官の政治学 <small>フランシス・ベイコンとルネサンス期イングランド</small>』[[木鐸社]]、2003年。
* 小林幸雄『図説イングランド海軍の歴史』[[原書房]]、2007年。
* [[櫻井正一郎]]『最後のウォルター・ローリー <small>イギリスそのとき</small>』みすず書房、2008年。
* [[石井美樹子]]『エリザベス <small>華麗なる孤独</small>』中央公論新社、2009年。
* [[竹田いさみ]]『世界史をつくった海賊』[[筑摩書房]]([[ちくま新書]])、2011年。