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これ以前、袁紹は董卓を討つべく集まった諸侯に対し、奢った振舞いを見せた事があった。張邈は袁紹に、己の振る舞いを改めるよう諫めたが、逆に袁紹の怒りを買って殺されそうになった。この時は、曹操が袁紹に取り成したため、危うく難を逃れている。張邈はこの事を知ると、曹操に対し恩義を感じるようになったという。
[[長安]]で勃発した政変の結果、呂布は董卓の部下である[[
興平元年([[194年]])、再び曹操は[[徐州]]の[[陶謙]]を攻めるため本拠を留守にした。この時、張邈は曹操軍の[[陳宮]]から「今こそ曹操の領地を奪う好機」と唆され、また曹操と不仲だった弟にも諭されたため、彼らと結託して呂布を迎え入れ、曹操に対し反乱を起こした。
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