「ゲルマニア (擬人化)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
{{複数の問題|独自研究=2015年4月19日 (日) 15:18 (UTC)|出典の明記=2015年4月19日 (日) 15:18 (UTC)}}
[[ファイル:Image Germania (painting).jpg|thumb|right|200px|ドイツ・[[ロマン主義]]の画家[[フィーリプ・ファイト]](Philipp Veit)が描く『ゲルマニア』、[[1848年]]。[[フランクフルト国民議会]]の議場に掲げられた。]]
'''ゲルマニア'''({{lang-de|Germania}})は、[[ドイツ]]国家または[[ドイツ民族]]全体を[[擬人化]]した像である。主に、[[19世紀]]の[[ロマン主義]]の時代、あるいは[[自由主義]]や統一ドイツへの希求が高まった[[ドイツにおける1848年革命|1848年革命]]の時代によく描かれたが、後の[[ドイツ帝国]]の時代にも使われることがあった。
 
ゲルマニアは通常、[[カール大帝]]が所有した「[[ジュワユーズ]]」という名の剣を帯びている。また[[神聖ローマ帝国]]の帝冠を持っていたり、頭にかぶっていたりすることもある。身体には甲冑をまとい、赤みを帯びたブロンドの長い髪をなびかせ、金の地に黒い[[鷲 (紋章)|鷲の紋章]]をあしらった中世の盾を構えた姿で描かれることもある。
29行目:
|-
| 黒・赤・金の三色旗
| [[ドイツにおける1848年革命|1848年革命]]におけるリベラル民族主義者の旗。ドイツの各領邦国家が禁じたシンボル
|-
| 朝日の光線
42行目:
File:Friedrich Overbeck 008.jpg|『[[イタリア・トゥッリタ|リタリア]]とゲルマニア』 [[ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック]]による[[1828年]]の絵画
File:Philipp Veit 008.jpg|[[フィリップ・ファイト]]による[[フレスコ]]壁画。[[1834年]]-[[1836年]]
File:Erwachende Germania.jpg|[[ドイツにおける1848年革命|革命]]後に描かれた『覚醒するゲルマニア』[[クリスティアン・ケーラー]]、[[1849年]]
File:Wislicenus Germania.jpg|[[普仏戦争]]後に描かれた『ラインを見張るゲルマニア』 ヘルマン・ヴィスリツェヌス(Hermann Wislicenus)、[[1873年]]
File:Germania figur.jpg|ヨハネス・シリング(Johannes Schilling)によるゲルマニア像。普仏戦争の記念碑である[[ニーダーヴァルト記念碑]]([[1877年]]-[[1883年]])の一部