「申包胥」の版間の差分

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伍子胥の復讐は、平王の後を継いだ昭王にも向けられ、その行方を捜していた。その間に包胥は秦に援軍を頼むべく[[哀公 (秦)|哀公]]の宮殿に奔った。
 
昭王の母[[伯エイ|伯嬴]]は哀公の娘という間柄にも関わらず、哀公は援軍を断る。これに対し、包胥は大いに嘆き、七日七晩、何も食べず、飲まずに泣き続けた。
 
その様子に心を打たれた哀公は、「楚は無道だがこのような忠臣がいるのであれば滅ぼすべきでない」として、戦車五百を投入した。翌[[紀元前505年]]、秦の援軍は呉を破り、呉の内紛もあって、ついに楚は呉を退ける事に成功した。