「マリウス・プティパ」の版間の差分
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==生涯==
[[マルセイユ]]に生まれる。父はバレエ振付師ジャン=アントワーヌ・プティパ、母は女優、ヴィクトリンヌ・モーレル。兄はバレエダンサー・振付師の[[リュシアン・プティパ]]。出生
[[1847年]]、[[サンクトペテルブルク]]の[[マリインスキー劇場]]にてプリンシパル・ダンサーとして契約する。プティパがスペインを去ったのは、スペインでの情事のためとも言われる。その後はマリインスキー劇場でダンサー・振り付け師・台本作家として活躍を続け、[[1869年]]に同劇場のバレエ監督に就任。[[1904年]]の退任まで「[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]」以下の三大バレエと呼ばれる[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]作品をはじめ、数多くの作品を発表した。また[[1855年]]から[[1887年]]の間、付属バレエ学校の校長も勤めた。
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==作品==
プティパは60近くの作品を制作しており、その中には現在でも上演されている作品も多い。中でも、チャイコフスキーの音楽による「[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]」、「[[くるみ割り人形]]」、「[[白鳥の湖]]」や、[[レオン・ミンクス]]の音楽による「[[ドン・キホーテ (バレエ)|ドン・キホーテ]]」などは、世界中で[[クラシック・バレエ]]の古典レパートリーとして上演されている。また、他の振付家による作品の改訂でも有名で、「[[海賊 (バレエ)|海賊]]」や「[[ジゼル]]」、「[[エスメラルダ (バレエ)|エスメラルダ]]」、「[[コッペリア]]」、「[[ラ・フィユ・マル・ガルデ]]」、「{{仮リンク|せむしの仔馬|en|The Little Humpbacked Horse (ballet)}}」が知られる。特に前2者は今日でもプティパ版あるいはそれを元にした改訂版の上演が多い。なお、「[[白鳥の湖]]」はプティパの代表作とされるが、実際にはヴェンツェル・ライジンガーの振付で初演されており、再演にあたってプティパが[[レフ・イワノフ]]と共同で改訂を行ったものが好評を得て定着したものである。
== 参考文献 ==
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