「太政官札贋造事件」の版間の差分

即日執行され、最初に発案した山本一心はすでに病死しており、郡成巳は獄中で発狂して死亡した。
 
7月11日、[[有栖川宮熾仁親王]]が新知藩事として[[福岡城]]内に入り、福岡藩は事実上廃藩となった。3日後の14日、全国一斉に[[廃藩置県]]が断行された。旧藩主一家は東京移住を命じられ、8月23日、[[士族]]町民らの群衆が涙ながらに見送る中、港から船で福岡を離れ、ここに[[黒田長政]]以降270余年に渡る[[黒田氏]]の[[筑前国|筑前]]支配は終焉を迎えた。
 
政治的経済的に凋落した福岡で、残った最後の大老・[[黒田一雄]]([[黒田播磨]]の次男)は、明治6年の[[筑前竹槍一揆]]で暴徒の説得にあたり、明治10年に第十七国立銀行([[福岡銀行]])を設立するなど、沈滞する福岡の復興に尽力した。
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