「死者の日」の版間の差分

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聖地から帰った巡礼者が嵐によってとある孤島に打ち上げられた。そこには1人の修道士が住んでいた。男はその修道士からある岩を示された。その岩のすきまから煉獄の様子が伺えるというのだ。男が覗き込むと煉獄で苦しむ人々の声が聞こえる。修道士は悪魔が「死者のために祈られると死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」とぼやいているのも聞いたと男に語った。男は故郷に帰ると、すぐにオディロに会ってその話を伝えた。そこでオディロは11月2日を死者の日と定めたので、こうして死者の霊魂のために祈りを捧げる習慣が生まれた。そしてクリュニー修道院から系列修道院へとその習慣が伝えられ、やがて[[フランス]]から西欧全体へと広まった。
 
== 各地・各教派の死者の日 ==
=== プロテスタント諸国 ===
大陸ヨーロッパの国々では[[プロテスタント]]が主流の国であっても死者の日は廃止されなかった。[[マルティン・ルター]]は聖書に根拠のないすべてのキリスト教伝統を廃止しようとしたが、それでも[[ザクセン]]地方から死者の日の習慣を廃止するには至らなかった。死者の日は単なる[[教会暦]]の祝い日という枠を超えて、人々の文化の中に根付いていたのである。[[フランス]]では死者の日になると墓に飾りをほどこし、[[ドイツ]]では[[墓]]に花を飾るなど地方によって独自の習慣がある。
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[[プロテスタント]]教会では聖徒の日、諸聖徒日、召天者記念日などとして主日の礼拝を捧げる教会もある。
 
=== イギリス聖公会 ===
[[宗教改革]]の時代、[[イギリスングランド国教会]]では死者の日が一時期廃止された。しかし、のちの[[聖公会]]では復活し、[[日本聖公会]]においては'''諸魂日'''(しょこんび)と呼ばれて小祝日とされている
 
=== 東方教会諸国 ===
[[東方正教会]]や[[東方典礼カトリック教会]]では、死者の日は年に何度かの[[土曜日]]に祭られる。