「ロバート・カー (初代サマセット伯)」の版間の差分

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| 人名 = ロバート・カー
| 各国語表記 = Robert Carr
| 家名・爵位 = 初代[[サマセット公|サマセット伯]]
| 画像 = Robert Carr, Earl of Somerset by John Hoskins.jpg
| 画像サイズ =
| サイン =
}}
初代[[サマセット公|サマセット伯]]'''ロバート・カー'''({{lang-en|Robert Carr, 1st Earl of Somerset}}, {{Post-nominals|post-noms=[[ガーター勲章|KG]], [[枢密院 (イギリス)|PC]]}}, [[1587年]]頃 - [[1645年]][[7月17日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]の[[廷臣]]、政治家、[[貴族]]。
 
[[1615年]]頃までイングランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]](スコットランド王ジェームズ6世)の[[寵臣]]だった。[[1611年]]にロチェスター子爵、[[1613年]]にサマセット伯爵に叙された。
 
== 経歴 ==
[[1587年]]頃にサー・トマス・カーとその妻ジャネット(旧姓スコット)の間の息子としてスコットランドに生まれた<ref name="thepeerage">{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p1222.htm#i12220|title= Robert Carr, 1st and last Earl of Somerset|accessdate= 2016-07-30 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=124}}。
 
早くからスコットランド王ジェームズ6世の宮廷に仕え、[[1603年]]に彼がイングランド王ジェームズ1世に即位するとカーもジェームズ1世に従って[[ロンドン]]へ移った{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=124}}。君寵を得て出世し{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=124}}、[[1607年]]にはナイトに叙され<ref name="thepeerage" />、[[1611年]]には{{仮リンク|ロチェスター城|en|Rochester Castle}}を与えられるとともに[[イングランド貴族]]爵位ロチェスター子爵に叙された<ref name="thepeerage" />。[[1612年]]には[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]]に列するとともに{{仮リンク|国王秘書長官 (イングランド)|label=国王秘書長官|en|Secretary of State (England)}}に就任<ref name="thepeerage" />。[[1613年]]にはイングランド貴族爵位サマセット伯に叙される<ref name="thepeerage" />。[[1614年]]から[[1615年]]にかけては{{仮リンク|宮内長官 (イギリス)|label=宮内長官|en|Lord Chamberlain}}、{{仮リンク|五港長官|en|Lord Warden of the Cinque Ports}}、[[王璽尚書]]を務めた<ref name="thepeerage" />。
 
カーはジェームズ1世の宮廷内ではスコットランド系廷臣を代表する立場であり{{sfn|今井宏(編)|1990|p=162}}、初代[[ソールズベリー侯|ソールズベリー伯爵]][[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート・セシル]]の死後、宮廷内の権力を握った初代[[ノーサンプトン伯爵]][[ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯)|ヘンリー・ハワード]]や甥の初代[[サフォーク伯]][[トマス・ハワード (初代サフォーク伯)|トマス・ハワード]]ら[[カトリック教会|カトリック]]で親[[スペイン]]派の[[ハワード家]]を支持していた。反面、[[プロテスタント]]で反スペイン派の[[カンタベリー大主教]]{{仮リンク|ジョージ・アボット (カンタベリー大主教)|label=ジョージ・アボット|en|George Abbot (bishop)}}、[[ペンブルック伯]][[ウィリアム・ハーバート (第3代ペンブルック伯爵)|ウィリアム・ハーバート]]、[[サウサンプトン伯爵]][[ヘンリー・リズリー (第3代サウサンプトン伯)|ヘンリー・リズリー]]らと対立していった{{sfn|塚田富治|2001|p=54}}{{sfn|木村俊道|2003|p=227}}。
 
詩人{{仮リンク|トマス・オーヴァーベリー|en|Thomas Overbury}}を宮廷内で取り立てたのはカーであった。しかし[[1613年]]にカーがサフォーク伯の娘で第3代[[エセックス伯]][[ロバート・デヴァルー (第3代エセックス伯)|ロバート・デヴァルー]]夫人[[フランセス・カー (サマセット伯爵夫人)|フランセス・ハワード]]と恋仲になった際、オーヴァーベリーに結婚を反対されたことでカーとフランセスはオーヴァーベリーを恨むようになった。同年4月にオーヴァーベリーが外交官勤務を断って不敬として[[ロンドン塔]]投獄となった際、フランセスはオーヴァーベリーに少しずつ毒を盛って9月に彼を殺害した(毒殺の主犯はフランセスであり、カーの方は必ずしも積極的には関与しなかったという)。そして同年末に至ってフランセスとカーは結婚した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=124/547}}{{sfn|木村俊道|2003|p=232-233}}{{sfn|石井栄一|2016|p=66-67}}。
 
しかし1614年から1615年頃にかけて君寵を[[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|ジョージ・ヴィリアーズ]](後の初代[[バッキンガム公]])に奪われるようになり、その結果として翌[[1616年]]にはオーヴァーベリー毒殺容疑で妻とともに逮捕されて失脚した{{sfn|木村俊道|2003|p=231}}。事件の取り調べには{{仮リンク|イングランド・ウェールズ首席裁判官|label=王座裁判所首席裁判官|en|Lord Chief Justice of England and Wales}}[[エドワード・コーク]]と[[法務長官 (イギリス)|法務長官]][[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]らが当たり、ベーコンの告発文書で事件の内容が暴かれ、有罪宣告を受けて5年間監禁された{{sfn|木村俊道|2003|p=232-233}}{{sfn|石井栄一|2016|p=66-67}}。[[1622年]]に釈放されるもその後は引退生活を送った{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=124}}。
 
[[1645年]][[7月17日]]に死去。男子はなく彼の死とともに保有爵位は廃絶した<ref name="thepeerage" />。
 
== 栄典 ==
*:([[勅許状]]による[[イングランド貴族]]爵位)
[[1613年]][[11月3日]]に以下の爵位を新規に叙された<ref name="thepeerage" />。
*'''初代[[サマセット公|サマセット伯爵]]''' <small>(1st Earl of Somerset)</small>
*:(勅許状によるイングランド貴族爵位)
*'''ダラム州における初代ブランセペス男爵''' <small>(1st Baron Brancepeth, in the County of Durham)</small>
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=[[今井宏 (歴史学者)|今井宏(編)]]|year=1990|title=イギリス史〈2〉近世|series=世界歴史大系|publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4634460201|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[塚田富治]]|year=2001|title=近代イギリス政治家列伝 かれらは我らの同時代人|publisher=[[みすず書房]]|isbn=978-4622036753|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|year=2000|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[塚田富治]]|year=2001|title=近代イギリス政治家列伝 かれらは我らの同時代人|publisher=[[みすず書房]]|isbn=978-4622036753|ref=harv}}
* [[木村俊道]]『顧問官の政治学 <small>フランシス・ベイコンとルネサンス期イングランド</small>』[[木鐸社]]、2003年。
* [[石井栄一]]『ベーコン <small>人と思想43</small>』[[清水書院]]、1977年(新装版2016年)。
 
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