「フュッセン」の版間の差分

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'''フュッセン'''(標準{{lang-de|Füssen}}, [[アレマン語]]: {{lang|als|Fiesse}})は、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]南東部の[[バイエルン州]][[シュヴァーベン行政管区]]の[[オストアルゴイ郡]]に属す市である。バイエルン州の最南西部に位置し、[[ロマンティック街道]]と[[ヴィア・クラウディア・アウグスタ]]に面している。
 
住民の大部分は[[アラマンニ人|アレマン系]]で、アレマン語系の[[シュヴァーベン語]]を使用している。
 
== 地理 ==
 
== 歴史 ==
ローマ時代のフュッセンは、「[[ヴィア・クラウディア・アウグスタ|Via Claudia Augusta]]」という[[ローマ街道]]の経路上にある入植地であった。このローマ街道を南へ進むと[[イタリア]]北部に通じ、北へ進むと[[ローマ帝国]]の[[ラエティア]]属州の中心都市へと通じていた。その中心都市はアウグスタ・ヴィンテリコールムと言い、これは現在の[[アウクスブルク]]に当たる。古代末期には、アルプスを越える重要な交易路を警備するため、[[ローマ軍団]]の一つである[[第3軍団イタリカ]]の部隊がフュッセンに駐屯した。フュッセンを発掘した結果、5世紀のローマ人の城郭基礎が出土した。おそらく260年にはすでにここにローマの軍事施設があったと推測されている。フュッセンの、当時の「Foetibus」または「Foetes」という名前は、ラテン語で「渓谷」を意味する「Fauces」またはゲルマン語で「麓、足」を意味する fot に由来する。その後集落名は Fozen(1147年)、Fozin(1188年)、Fuozzen(1206年)、Füzzen(1366年)と変遷した後、現在の Füssen([[1424年]]以降)となった。
[[ファイル:Fuessen Klosterkirche Sankt Mang.JPG|right|200px|thumb|現在の聖マング修道院教会]]
フュッセンがその[[守護聖人]]として崇める聖マング([[フュッセンのマグヌス]])は、[[748年]]にこの集落に庵を設けた。その後修道士が流入し、[[8世紀]]には[[ベネディクト会]]の聖マング修道院が創設された。聖マングの最初の埋葬地は、彼が建てた小さな教会であった。その後、彼の遺骨は[[850年]]に建てられた教会の地下室に移されたが、1100年頃にその遺骨は紛失した。今日では、聖マング修道院教会の地下室の埋葬地を見る事が出来る。聖マングの唯一の遺骨は[[聖遺物]]とされ、大祭壇の上のガラスの十字架の中に納められている。同じ十字架の中には彼の杖、胸の十字架、[[聖杯]]も納められている。