「アドルフ・ヒトラー・シューレ」の版間の差分

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党幹部予備軍を育てるナチ党直属の中等教育機関として[[1937年]][[1月15日]]に開校、[[1945年]]5月の[[第二次世界大戦]]の敗戦まで合計12校が作られた。卒業試験合格者には[[アビトゥア|アビトゥア(大学入学資格)]]が付与された。もし日本でこれを例えるならば、ある特定の政党が運営する寄宿制の[[中高一貫校]]と呼べる。
 
生徒は[[ヒトラーユーゲント]]から選抜された。選別試験については下記の文献『ヒトラー政権下の日常生活』に実体験が綴られている。同校の卒業生は、6ヵ月の[[労働奉仕]] ([[:en:Reichsarbeitsdienst|Reichsarbeitsdienst]]) と義務兵役、更に職業実践生活を経た後、20歳代半ばで最終的な党幹部養成機関である[[騎士団の城]] ([[:en:Ordensburg{{仮リンク|オルデンスブルク|de|NS-Ordensburg]]) }}に進んだ。
 
ヒトラーの恋人で、後の妻である[[エヴァ・ブラウン]]の日記には、以下の様な記述が残っている。