「坪井玄道」の版間の差分

[[下総国]][[葛飾郡]][[鬼越 (市川市)|鬼越]](現・[[千葉県]][[市川市]])の出身で農家の次男として生まれた。幼名は仁助<ref name="keiyo">{{cite web|url=http://www.keiyogas.co.jp/home/park/hureai/20century/detail_1.html|title=日本の体操の父 坪井玄道|work=[[京葉ガス]]|accessdate=2014-9-23}}</ref><ref name="kagawa">{{cite web|url=http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=993|title=121年前、日本にサッカーを初めて紹介し東京高師-筑波大に根付かせた大功労者 坪井玄道|work=賀川サッカーライブラリー|accessdate=2014-9-23}}</ref>。
 
慶応2年([[1866年]])に[[江戸幕府]]の[[洋学所|開成所]]に入学して[[英語]]を学ぶ<ref name=Britannica>{{Citation|date=2014|contribution=坪井玄道 つぼいげんどう|contribution-url=http://archive.is/U3r3T#7%|title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|publisher=ブリタニカ・ジャパン}}</ref>。明治4年([[1871年]])に卒業して初めは少得業生として[[大学南校]]、同年7月より[[東京高等師範学校|東京師範学校]](現在の[[筑波大学]])の教員となった<ref name=Britannica/>。明治11年([[1878年]])にアメリカから迎えた体育担当教師[[ジョージ・アダムス・リーランド]]の[[通訳]]を担当しているうちに体操の重要性を認識して体育学を学ぶ。
明治11年([[1878年]])、リーランドと共に同年に創設された[[体操伝習所]]教師となった<ref name=Britannica/>。なお、体操伝習所が東京師範に吸収された明治19年([[1886年]])より[[東京高等師範学校|高等師範学校]]の助教授となった<ref name="kagawa"/>。