「畑中健二」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[京都府]][[京丹波町]]出身。地主・畑中鋭次郎の二男として生れる。[[京都府立園部高等学校|京都府立園部中学校]]を四年修了、[[第三高等学校 (旧制)|三高]]文科を希望していたが周囲の勧めで[[陸軍士官学校予科]]を経て、[[1934年]](昭和9年)6月、[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]([[陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)#46期|46期]])を卒業。1934年(昭和9年)10月に[[砲兵]][[少尉]]に任官、[[下馬 (世田谷区)|世田谷区下馬]]にあった[[野戦重砲兵第1連隊|野砲兵第1聯隊]]附となる。このとき、[[岩田正孝]](のち井田に改姓、[[陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)#45期|45期]])も同聯隊少尉として勤務している。[[陸軍砲工学校]]で学び、[[1940年]](昭和15年)6月、[[陸軍大学校]]([[陸軍大学校卒業生一覧#53期 (昭和15年卒)|53期]])を卒業した。
 
[[1935年]](昭和10年)頃より[[井田正孝]]砲兵少尉、[[竹下正彦]][[歩兵中尉]]([[陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)#42期|42期]])とともに東大教授・[[平泉澄]]の直門として親交を深める。