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===== アイルランド自治法案 =====
[[File:Gladstone debate on Irish Home Rule 8th April 1886 ILN.jpg|thumb|250px|アイルランド自治法案を議会に提出するグラッドストンを描いた絵。]]
内閣成立後、グラッドストンとアイルランド担当相モーリーは早速アイルランド自治法案の作成にあたった。その骨子は「1、アイルランドはアイルランドに関する立法を行う議会を持つ」「2、アイルランドは連合王国の議会には議員を送らない」「3、アイルランドの王室・宣戦・講和・国防・外交・貨幣・関税・消費税・国教などは連合王国が取り決め、アイルランドは決定権を有さない」というものであった<ref name="尾鍋181">[[#尾鍋|尾鍋]] p.181</ref><ref>[[#神川|神川]] p.392-393</ref><ref>[[#永井|永井]] p.271-272</ref><ref name="村岡187">[[#村岡|村岡、木畑(1991)]] p.187</ref>。
 
グラッドストンは3月13日に閣議でこれを発表したが、チェンバレンとスコットランド担当大臣{{仮リンク|サー・ジョージ・トレベリアン (第2代准男爵)|label=ジョージ・トレベリアン|en|Sir George Trevelyan, 2nd Baronet}}が「アイルランドの独立を招き、帝国を崩壊させる」法案であるとして激しく反発し、二人とも辞職した<ref name="尾鍋182">[[#尾鍋|尾鍋]] p.182</ref><ref name="神川393">[[#神川|神川]] p.393</ref><ref name="永井272">[[#永井|永井]] p.272</ref>。この後、チェンバレンたちはホイッグ派とともに自由党を離党して[[自由統一党]]という新たな党を形成し始めた<ref name="尾鍋182">[[#尾鍋|尾鍋]] p.182</ref><ref name="村岡187"/>。ヴィクトリア女王もアイルランド自治に反発して、保守党党首ソールズベリー侯爵に自由党内反アイルランド自治派と連携して組閣の道を探れと内密に指示を出した<ref name="君塚198">[[#君塚|君塚]] p.198</ref>。