「ナチス・ドイツの人体実験」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
暁海 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
15行目:
彼は[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン]]で、[[哲学]]や[[人類学]]や[[古生物学]]に重点を置いた[[医学]]を学ぶ間に、「([[ファシズム]]という)簡潔な政治概念が、遂には私の人生において決定的な要素となった」と述べたと言われている。メンゲレは、「簡潔な政治的概念」に新たな関心を示し、医学と政治の融合が、彼のキャリアの選択において大きな要素となった。
 
メンゲレは、「4種の人種グループを対象とした下顎部分の人種的形態学的研究 ({{Lang-de-short|Rassenmorphologische Untersuchung des vorderen Unterkieferabschnittes bei vier rassischen Gruppen}})」というタイトルの論文により[[博士号]] (PhD) を取得した。この論文は人種は顎の形によって識別が可能であることを提起していた。ナチスによって彼は研究の才能を見出され、[[1943年]][[5月30日]]、彼は占領下の[[ポーランド]]に位置するアウシュヴィッツ強制収容所に異動となった。彼は、一般的に考えられているところとは異なり、アウシュヴィッツで唯一の医者であったわけではなく、高い地位にいたわけでもない([[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]の[[親衛隊大尉|大尉]]であったエドゥアルト・ヴィルツが、アウシュヴィッツにおける医師の責任者であった)。メンゲレは、双子に対する[[遺伝学]]的実験を組織した。双子は年齢と性別によって分けられ、実験の合間はバラックに収容されており、異なる薬品双子の目から注入され、して色の変化があるかどうかを確認されしたり、双子を文字通り縫い合わせて[[結合双生児]]を作ることが試された。
 
=== 骨、筋肉、神経の移植 ===
1942年9月より1943年12月頃まで、[[ドイツ国防軍]]の利便向上のため、[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]において行われ、骨、筋肉、神経の再生に関する研究と、骨の移植が行われた。被験者は[[麻酔]]無しで、骨、筋肉、神経を部分的に除去された。この結果、多くの被験者は、激しい痛みや切断、そしてにより一生涯にわたる身体的不自由に苦しむこととなった。
 
=== 低温実験 ===