|
|
2007年に出版された本'男と男らしさに関する国際百科事典'(International Encyclopedia of Men and Masculinities)でマルク·A·ウエレは、男性嫌悪を女性嫌悪と照らし合わせ、大衆文化、文学に特定の"人種化された"男性嫌悪と"男性嫌悪的衝撃"が存在する可能性を無視することはできないと記述している。
文化人類学者デヴィッド·D·D ギルモアは、男性嫌悪ミソジニーが"「ほとんど普遍的な現象"」である反面、反男性的な社会制度を持つ伝統的な文化や組織的かつ一般的な反男性的な思想が浸透している例が世界的には女見られないことから、男性嫌に対する社会的な憎悪にミソジニーと相当するものはないと論じる<ref name="gilmore">{{cite books|last=Gilmore |first= David G.|title=Misogyny: The Male Malady|publisher=University of Pennsylvania Press|year=2009|isbn=978-0-8122-1770-4|url=https://archive.org/details/misogynymalemala0000gilm|language=en}}.</ref>{{Rp|10-13}}。 ギルモアはまた、アンドレア・ドウォーキンのように全ての男性嫌を同一で絶対悪であると考える急進的な派閥が中には"いることを認めつつ、一般的にミサンドリーと称されるものは個人としての男性に対する憎悪ではなく、"伝統的な男性の役割や[[マッチョ|マチズモ]]に対する憎悪"を指すと言う。 したがっ理論立て、男性嫌悪は"彼女た。すなわち、ミソジニーが何を女性の信じようと、何をしようと条や行動などに関わらず、女性を性に対象とする女性嫌独立した憎悪であるの強烈な人身攻撃ad feminam要素に対し、一般的にミサンドリーと称されるものは異社会的な関係の中における"も男性のであ行動、態度などに対する嫌悪だとする<small>(ドウォーキンのような急進的な立場はこれには当てはまらないとしている。)</small>{{R|gilmore|page=10-13}}。
== 脚注 ==
|