「アレクサンドル・ベンケンドルフ」の版間の差分

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[[1806年]]以降の[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]との戦いに出征し、[[1812年]]にナポレオンが[[1812年ロシア戦役|ロシア遠征]]を開始するとベリシ(ヴェリシ、[[w:Velizh]])で[[大陸軍 (フランス)|大陸軍]]と対峙し、フランス軍の将軍3名を捕虜にするなどの戦果を挙げた。大陸軍が[[モスクワ]]から退却した後、モスクワ駐留軍司令官に任命される。さらにナポレオンを追撃すべくヨーロッパ派遣軍に参加し、テンペルベルク(Tempelberg)でフランス軍を撃破し、[[ベルリン]]に入城した。さらに[[ライプツィヒ]]での戦闘と、[[オランダ]]からフランス軍を掃討し名を上げた。
 
[[1821年]]、皇帝アレクサンドル1世に対して[[デカブリスト]]について警告を言上したが、皇帝は意に介さなかった。[[1825年]]のアレクサンドル1世の崩御後、帝位をめぐり[[コンスタンチン・パヴロヴィチ]]大公と[[ニコライ1世]]の間で混乱、空隙をついて[[デカブリストの乱]]が起こる。反乱はニコライ1世によってただちに鎮圧されるが、ベンケンドルフは乱後に設置された調査委員会に所属し、[[憲兵隊]]および[[秘密警察|政治秘密警察]]として[[皇帝官房第三部|皇帝直属官房第三部]]の創設について答申した。ベンケンドルフの提案はニコライ1世によって容れられ、[[1826年]]にベンケンドルフは憲兵隊長兼皇帝官房第三部初代長官に任命される。ベンケンドルフは第三部を通じて[[検閲1832年]]を強化し、それ[[文学]]作品や[[演劇]]伯爵まで及んだ。あまりに職務に熱中したために、ベンケンドルフは時たま自分の名前を忘昇爵さてしまって自分の名刺を見て思い出していたという。[[アレクサンドル・ゲルツェン]]は回想録で、多くの無実の者たちが犠牲になっとベンケンドルフを糾弾している
 
ベンケンドルフは第三部を通じて[[検閲]]を強化し、それは[[文学]]作品や[[演劇]]にまで及んだ。あまりに職務に熱中したために、ベンケンドルフは時たま自分の名前を忘れてしまって自分の名刺を見て思い出していたという。[[アレクサンドル・ゲルツェン]]は回想録で、多くの無実の者たちが犠牲になったとベンケンドルフを糾弾している。
 
ベンケンドルフは、[[タリン]]近郊の[[:w:Keila-Joa|ケイラ=ジョア]]の一族の墓地に眠っている。
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