「三八式歩兵銃」の版間の差分

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基本的に補給効率を考慮して三八式歩兵銃を装備する[[中隊]]には、同じ三八式実包を使用する[[三八式機関銃]]、[[1923年]](大正12年)から[[1940年]](昭和15年)にかけては[[十一年式軽機関銃]]、ないし[[1930年代]]後期から敗戦までは[[九六式軽機関銃]](九九式短小銃・小銃装備部隊には[[九九式軽機関銃]])が配備される。
 
日中戦争以降(1930年代後期以降、帝国陸軍は1937年の[[歩兵操典]]草案で本格的な[[分隊]][[疎開]]戦闘に移行)当時の帝国陸軍の歩兵[[小隊]]火力の中心は、[[軽機関銃]]と[[擲弾筒|重擲弾筒]]であり、1個小隊には小銃のほか第1~3[[分隊]]に軽機関銃1挺と、第4分隊に[[八九式重擲弾筒]]3門が定数であった。また、1個[[大隊]]にはこれに[[重機関銃]]([[九二式重機関銃]])12挺を擁する1個[[機関銃]][[中隊]]、[[歩兵砲]]([[九二式歩兵砲]]ないし[[九七式曲射歩兵砲]])2門を擁する大隊砲小隊が付随する。さらに[[連隊]]([[歩兵連隊]])には[[山砲]]([[四一式山砲]])4門を擁す連隊砲中隊、[[対戦車砲]]([[九四式37mm速射砲|九四式三十七粍砲]])4門を擁す[[速射砲]]中隊が加わり歩兵大隊に直接・間接協力するため、「日本軍は三八式歩兵銃のみで戦った」という話は誇張されたものである。
 
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