「医療ソーシャルワーカー」の版間の差分

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日本の医療ソーシャルワーカーの第一号は、[[浅賀ふさ]]といわれている。1929年、アメリカで学んだ浅賀が[[聖路加国際病院]]に勤務したことに始まる。しかし、戦前はなかなか普及せず、戦後になってGHQ主導のもと、1947年保健所法第二条第六項に「医療社会事業員」を置くことが規定された。翌1948年に、モデル保健所であった東京、[[杉並保健所]]に最初の医療社会事業員(いわゆるメディカル・ソーシャルワーカー)として、[[出淵みやこ]]が配置された。1950年には、全国704ヶ所の保健所中150ヶ所に、1951年には240ヶ所に配置された。一方、[[日本赤十字社]]のちに全国社会福祉協議会にて、医療社会事業員長期養成講習会が開催されるようになり、病院等への配置もすすんでいった。
 
日本における専門職団体としては、1953年11月11日、全国の先駆者197名が集まり「[[日本医療社会福祉協会|日本医療社会事業協会]]」が設立された。その後、病院等への配置はさらに進み、現在、厚生労働省による「病院調査」によれば、医療社会事業員はおよそ9千人といわれている。最大の職能団体である(公社)日本医療社会福祉協会の会員は、2014年12月現在で、約5,100名になっている。
 
当初は、「経済的問題の解決調整援助(医療費や生活費などお金問題)」に関する相談内容が多かったが、現在では、「退院支援(退院する患者への在宅ケア援助や、転院等)」の相談に関する業務比率が高まっている。
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