「ヤングローズ」の版間の差分

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警察の権力乱用を目にして、Division Street Riotsにもかかわるようになる。
 
投獄されている間、リーダーであり7人の設立者のギャングメンバーである[[ジョゼ(「チャチャ」)ヒメネス]]は[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|マーティン・ルーサー・キング]]、[[マルコムX]]から[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]、そして[[毛沢東]]にいたる様々な本を読んでいた。1968年の9月、ヒメネスはギャングを政治的人権運動へと組織し直した。
ジメネスはその後イリノイ州の[[ブラックパンサー]]の主席だった(当時はまだ地下活動を続けていて、パンサー党のイリノイ支部を設立し、組織しているところだった)[[フレッド・ハンプトン]]から接近された。
 
その直後に、ヤングローズはより良い組織、そしてプエトリカン版のブラックパンサーを創るために様々なレベルや部門に再構成した。これがヤングローズオーガナイゼーション(YLO), そして(ニューヨークでは)後にヤングローズ党(YLP)となった;後者はシカゴのグループから独立することになる。
 
 
1969年の6月7日、『ブラックパンサー』紙はレインボー・コーリション(同じ名前のジェス・ジャクソンと関係する組織とは無関係)と呼ばれる同盟関係を発表した。ブラックパンサーと当時のヤングローズを別にして、この同盟はヤング・パトリオット・オーガナイゼーションという白人の若者のストリートギャングが政治的になった組織も含んでいた。この同盟はSDS、当時しかしながら全国的な学生の組織として崩壊していっていたの年次総会にも代表者を送っていた。シカゴの全国本部に了承を経て、1969年7月26日にヤングローズ・オーガナイゼーションのニューヨーク支部が公式に発足した。設立者はホアン・ゴンザレス(現『ニューヨーク・デイリーメール』コラムニスト)、フィリップ・ルシアーノ(現テレビリポーター、詩人、ラジオパーソナリティ)の二人で、後者は最初の組織の議長となった。 ヤングローズはほとんどの活動をプエトリコの自決権や地域のコミュニティが抱える問題、ジェントリフィケーション、保健、警察の不正義などについて行った。
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[[Category:アメリカ合衆国の政治団体]]