「早田文藏」の版間の差分

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台湾植物について[[タイワンスギ]]をはじめ1,636種を命名したことにより、「台湾植物の父」とも呼ばれる<ref name="ritouki_n_excite">{{Cite web |url=http://www.ritouki.jp/index.php/info/20171006/ |title=早田文藏と台湾の人々の感謝の念が顕現した記念碑と植物標本館復元という奇跡 |publisher=日本李登輝友の会 |date=2017-10-06 |accessdate=2017-11-12}}; {{Cite web |url=https://www.excite.co.jp/News/world_g/20171003/Jpcna_CNA_20171003_201710030004.html |title=日本統治時代の植物標本館が再開館 日本人学者の記念碑も復元 |publisher=[[エキサイト]] |accessdate=2017-11-12}}</ref>。
 
[[新潟県]][[加茂市|加茂]]生まれ。1903年[[東京大学|東京帝国大学]]を卒業。[[台湾総督府]]の依頼で[[台湾]]の植物を研究し、さらに[[インドシナ]]でも調査を行った。その後[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京帝大理学部]]教授および[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園|東大附属植物園]]長となった。
 
台湾植物の命名にあたってはフランス人神父の[[ユルバン・ジャン・フォーリー]] ({{Fr|Urbain Jean Faurie}}) が残した資料に拠る部分が多かったため、謝意を表し日本人から寄付を募り1917年に神父の銅像を建てた<ref name="ritouki_n_excite" />。
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== 著書 ==
[[File:2018臺北植物園早田文藏紀念碑.jpg|228px|right|thumb|台北植物園早田文蔵記念碑]]
*台湾植物図譜 全10巻(1911(台湾総督府民政部殖産局、1911年-1921)1921年)
*植物分類学(1933)(内田老鶴圃、1933年)
{{Botanist|Hayata}}