「ノモンハン事件」の版間の差分

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戦場を視察した辻は報告に「外蒙騎兵がこんなに戦車を持っていようとは誰も思ってはいなかった」「戦場に遺棄された外蒙兵の死体には食糧も煙草もないが、[[手榴弾|手りゅう弾]]と小銃の弾丸は豊富に持たされていた」と気がついたことを記述し、この戦いの反省として「第23師団の左右の団結が薄弱であることと、対戦車戦闘の未熟さであろう」としていたが{{Sfn|辻|2016|p=122}}、そこにも十分な[[速射砲]]などの対戦車兵器を準備できなかった自分らの反省はなく、第2次ノモンハン事件以降も同じような光景が繰り広げられることとなった{{Sfn|越智|p=129}}。
 
第一次ノモンハン事件における損害は、日本軍、戦死159名(うち東捜索隊105名)、戦傷119名、行方不明12名で合計290名、[[九四式37mm速射三十七粍砲]]1門、トラック8台、乗用車2台、装甲車2輌に対し、ソ連軍の損害は戦死及び行方不明138名、負傷198名、モンゴル軍の損害は戦死33名の合計369名、戦車・装甲車13輌(うち2輌はモンゴル軍のBA-6)、火砲3門、トラック15台であり、戦力が勝っていたソ連・モンゴル軍の方の損害が大きかった。6月1日には赤軍参謀総長B.シャーポシニコフが[[クリメント・ヴォロシーロフ]][[国防人民委員部|国防人民委員]](国防相)にノモンハンの5月の戦闘について報告に出頭した際、ソ連軍の指揮官であるフェクレンコ第57特別軍団長について「ステップ砂漠地帯という特殊な条件下での戦闘活動の本質を理解していない」と辛辣な評価が下され、更迭されている{{Sfn|コロミーエツ|p=43}}。
 
====航空戦====
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