「ミカエル・ラウドルップ」の版間の差分

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==== FCバルセロナ ====
1989年、少年時代のアイドル的存在である[[ヨハン・クライフ]]監督<ref name="Icons"/> が獲得を熱望し<ref name="Barca">Barça: The Illustrated History of FC Barcelona 104ページ ISBN 978-1780977287 </ref>、[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]の強豪[[FCバルセロナ]]に移籍した。しかしユベントス時代に大きな活躍を見せることが出来なかったこともあり<ref name=fcb>{{cite news | url=https://www.fcbarcelona.com/en/card/648078/michael-laudrup | publisher =FC Barcelona | title=Michael Laudrup |accessdate =1 April 20201}}</ref>、当初は獲得に疑問の声が挙がったが<ref name="Barca"/>、高いテクニックはクライフのサッカースタイルに完全にマッチし<ref name="Barca"/>、ウイングの位置から<ref>{{cite web|url=https://www.footballchannel.jp/2020/04/25/post371826/ |title=クライフは「偽9番」をどう機能させたのか? バルセロナ、ドリームチームの戦術【ファルソ・ヌエベの系譜(2)】 |publisher=www.footballchannel |date=25 April 2020 |accessdate=25 April 2020}}</ref>、チームに不可欠な役割を果たし<ref name="amor"/>、[[フリスト・ストイチコフ]]、[[ロマーリオ]]らに多くにアシストを供給<ref name="Barca"/>、[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]優勝、リーグ4連覇を成し遂げた。バルセロナでは通算296試合に出場、97ゴールを挙げた<ref name=fcb/>
 
1989-90シーズン、第2節ホームデビュー戦となった[[CAオサスナ|オサスナ]]戦で初ゴールを決めた<ref name="transfer all"/>。同シーズンは決勝でライバル、[[レアル・マドリード]]を2-0と破り、[[コパデルレイ]]に優勝した。
1993-94シーズン、[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]の[[ロマーリオ]]が加入し、バルセロナの外国人選手は4人となった。[[チャンピオンズリーグ]]、ファーストラウンドの[[ディナモ・キエフ]]戦でシーズン初ゴールを決めるなど<ref name="transfer all"/>、当初はスタメン出場していたが、次第にベンチスタートになることも増えた<ref>[http://www.barcelonas.com/michael-laudrup.html FC Barcelona Legend 1989-94 -Barcelonas.com]</ref>。レアルマドリ―ドとのクラシコでは途中出場からノールックパスで[[ロマーリオ]]のゴールをアシストするなど、プレー面でロマーリオとの抜群の相性の良さを度々見せた<ref>{{Cite news|title=イニエスタに夢を与えたデンマークのレジェンド、ミカエル・ラウドルップ |URL=https://football-tribe.com/japan/2018/02/26/35871/2/|accessdate=2018-09-21|work=FOOTBALL TRIBE}}</ref>。
また優勝がかかる最終節の[[セヴィージャFC]]戦では先発出場し、前半にサイド突破からのクロスで[[ストイチコフ]]の同点ゴールをアシスト、後半にはストイチコフのアシストから得点を決め、勝利を引き寄せ、首位を走っていた[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ|ラ・コルーニャ]]に逆転での優勝を果たしたした<ref>週刊サッカーマガジン 1994年6月8日 no.457 p.106-107 [[ベースボールマガジン社]]</ref>。クライフ監督とはたびたび衝突したため<ref>ヘスス・スアレス、小宮良之『名称への挑戦状』、東邦出版、2011年、117頁</ref>、ミカエルは1993-94シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝・[[ACミラン]]戦ではミラン所属の弟のブライアンと共にベンチ外になった<ref name="Icons"/>。対戦したミランの監督[[ファビオ・カペッロ]]はラウドルップを恐れていたが、居なくて良かった、彼をベンチ外にしたのはクライフの判断ミスだと述べた<ref name="Icons"/>。
 
==== レアルマドリード ====
1994-95シーズンから、[[レアル・マドリード]]に移籍、移籍の理由はクライフに対してリベンジしたいう理由でも<ref name="nova"/>、遺恨などでもなく<ref name="Icons"/>、プロとしてのものであり、またバルセロナはワールドカップアメリカ大会にかなりの所属選手を出していた為、疲労によりチーム力が落ちると考え<ref name="Icons"/><ref name="Football">フットボール The Greatest ラウドルップ</ref>、また新しい監督の下で新しい選手とプレーしたかったことが理由であるとした<ref name="nova"/>。[[グアルディオラ]]は記者からラウドルップの移籍を聞き涙を流し、移籍を止める様に直に説得を試みた<ref name="The"/><ref name="Football"/>。バルセロナ最大のライバルに移籍したことで議論を呼んだが<ref>[https://www.sportingnews.com/jp/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC/news/%E5%85%83%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%B3/13dqpefm7xga817s1u0v1gyrzx 元バルサ&レアルのラウドルップが語るエル・クラシコ]-sporting,news</ref>、ここは攻撃的MFとしてプレー、[[イバン・サモラーノ|サモラーノ]]、[[ラウール・ゴンザレス|ラウール]]らに多くにアシストを供給し<ref>Laudrup – Et fodbolddynasti", Christian Mohr Boisen, ISBN 978-87-11-31387-9</ref>、サモラーノと共にリーグ優勝に最も大きな役割を果たした<ref name="sd">[[ワールドサッカーダイジェスト]] 1996年3月号 [[日本スポーツ企画出版社]] no.17 P.9-10</ref>。これらの活躍から1995年のバロンドールでは、第10位に入った<ref>[[ワールドサッカーダイジェスト]] 1996年3月号 no.17 p.58-59 [[日本スポーツ企画出版社]]</ref>。
 
==== ヴィッセル神戸 ====
1996年、[[サンフレッチェ広島]]の監督を務めていた頃から獲得を熱望していた、[[スチュワート・バクスター]]監督のたっての希望により<ref>広島のドン今西氏のクラブGM サッカー批評vol.33 2006年12月号 ISBN 4575478938</ref>、[[ジャパンフットボールリーグ]](2部に相当)の[[ヴィッセル神戸]]に入団することとなった。ここでは特に[[永島昭浩]]といいコンビネーションを見せた<ref>{{cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/0a5396934aa37140986646cf08218b8ae8e661b2| title=38歳大久保が復活した2つの理由/永島昭浩| publisher=日刊スポーツ| accessdate =1 April 2021}}</ref>。デビュー戦となった8月18日の[[東北電力サッカー部|ブランメル仙台]]戦で初ゴールを含む<ref name="daily">[https://www.daily.co.jp/soccer/matome/2019/09/08/m_0000510.shtml イニエスタ!ビジャ!J1神戸の大物外国人の系譜]- daily 2019.9.8</ref> 2ゴールのデビューを飾る<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年9月11日 no.571号 p.26-28、鮮烈! ラウドルップ デビュー戦で2得点 JFL後半戦再開 ヴィッセル着々と首位固め [[ベースボールマガジン社]]</ref>。第21節の[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]戦では3アシストを記録するなど目覚ましい活躍を見せて5-1での勝利に貢献<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年10月9日 no.575号 p.120-125、 華麗なるゼブラの王様・ラウドルップ鮮やか JFL第20-21節カラーレポート 神戸VS札幌etc [[ベースボールマガジン社]]</ref>、[[1998 FIFAワールドカップ・予選|ワールドカップ予選]]出場のためにチームを離脱することもあったが、昇格を争う中、最終節を前にした[[福島FC]]戦では決勝ゴールを含む2ゴールを決めるなど<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年11月13日 no.580号 p.118-121、 JFL第29-最終節 ヴィッセルJ昇格、優勝目指して最後の戦い [[ベースボールマガジン社]]</ref>、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]昇格に貢献<ref name="daily"/>。同年の天皇杯3回戦、[[関西ダービー]]となった[[京都パープルサンガ|京都サンガ]]戦では1ゴールを決めたが、試合は3-4で敗れた<ref>[[週刊サッカーダイジェスト]] 1996年12月11日号 no.344 p.124-125 [[日本スポーツ企画出版社]]</ref>。1997年、[[Jリーグカップ]]では3月29日の[[柏レイソル]]戦で1-1の同点とするゴールを決め<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=2867 1997年3月29日 神戸対柏]-J.league data</ref>、チームはJリーグカップ初勝利を挙げた<ref name=kobe>{{cite web|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/match/result97.html| title=ヴィッセル神戸 1997| publisher=[[ヴィッセル神戸]]| accessdate =21 January 2021}}</ref>。同年のJリーグ開幕戦、[[鹿島アントラーズ]]戦では、[[永島昭浩]]のゴールをアシストした<ref name="Nikkan">{{cite news | url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202005180000769.html | publisher =www.nikkansports.com| title =日本人初ハットの永島昭浩氏が語るストライカー人生| accessdate =19 May 2020}}</ref>。第2節の[[名古屋グランパスエイト]]戦でも永島昭浩の先制ゴールをアシスト、チームはJリーグ初勝利を挙げた<ref name=kobe/><ref>{{cite web|url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2880| title=1997Jリーグ 1stステージ 第2節| publisher=data.j-league| accessdate =21 January 2021}}</ref>、第3節4月19日の[[横浜フリューゲルス]]戦に先発したものの、負傷のため前半16分に交代<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2889 1997年4月19日 フリューゲルス対ヴィッセル]-J.league data</ref>、怪我影響で以降の試合を欠場、そのまま退団することとなった。
 
==== アヤックス ====
== 評価 ==
*同じFCバルセロナとヴィッセル神戸に所属した、[[アンドレス・イニエスタ]]の憧れた選手で<ref>{{Cite news|title=スペイン記者が語るイニエスタ日本行きの理由「彼は以前から日本に憧れていた」|url=http://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%A8%98%E8%80%85%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1%E5%BD%BC%E3%81%AF%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E6%86%A7%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F/2tpfsv3niustzxozhboz656c |accessdate=2018-09-21|work=ゴール}}</ref>、そのプレーを幼少の頃からプレーを模範とし真似ていたと語り<ref name="gekisaka">{{cite news |url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?295113-295113-fl |title=魔術師イニエスタが選ぶ“最高のMFベスト3”…1位は「子どものころから憧れていた選手」|publisher=Gekisaka |date=2020-01-05 |accessdate=2020-01-06}}</ref>、[[那須大亮]]のYouTubeの企画にゲストとして出演した際には、自身が認める凄いMFベスト3の1位をラウドルップとした<ref name="gekisaka"/>。
*[[ティエリ・アンリ]]はラウドルップを、「過小評価されているのが理解出来ない、彼は最高の10番、彼のパスは私の神Youtube動画サイトにある彼のビデオを月に最低2回はよく見ている。」と話し<ref name="Henri">[https://qoly.jp/2019/11/09/thierry-henry-best-5-iks-1 アンリ、元Jリーガーラウドルップを「最強10番、モンスター、神」と褒めちぎる!]-Qoly 2019年11月9日</ref>、「一緒にプレーがしたかった。彼以上パスが上手い選手を歴史上で知らない。」と賞賛した<ref name="Henry2">{{cite news |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/4480017e3125912eb26c93de209fd879de93a707 |title=アンリが一緒にプレーしたかった元J選手は?|publisher=news.yahoo. |date=2020-06-12 |accessdate=2020-06-12}}</ref>。
*[[ミシェル・プラティニ]]は、ラウドルップを「サッカー史上もっとも才能ある選手のひとり。利己心の欠如が理由であまりにもゴール数が少ないのが残念だ」と表現した<ref name="jubilee">Frits Ahlstrøm, [http://www.uefa.com/uefa/history/associationweeks/association=35/newsId=145557.html Laudrup is greatest Dane] UEFA.com、2004年3月29日</ref>。
*[[フランツ・ベッケンバウアー|ベッケンバウアー]]は、90年代ではラウドルップが最高の選手であったと評している<ref name="Icons"/>。
 
== プレースタイル ==
*優れたテクニックを持ち<ref name="Barca"/><ref name="amor"/>、1対1のドリブル突破に強く<ref name=fcb/><ref name="amor"/>、相手DF陣をドリブルで崩し<ref name="amor">{{cite news |url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail2/id=74389|title=「ラウドルップの真似は誰にもできない」マドリーに“禁断の移籍”をした3人の名手を元バルサMFが回想|publisher=www.soccerdigestweb.com|date=5 June 2020|accessdate=2020-05-06}}</ref>、多くのゴールチャンスを演出<ref name="Barca"/>、ノールックパスも得意で<ref name=fcb/>、パス感覚に優れた<ref name="amor"/>、ラストパスの名手であった<ref name="Henri"/><ref name="Henry2"/>。自身がゴールを決めることを重要視せず<ref name="WSD"/>、自らゴールを狙えるチャンスにも、より得点しやすいポジションに居ると判断したチームメートへパスを選択することが多かった<ref name="WSD">[[ワールドサッカーダイジェスト]] 1996年2月号 [[日本スポーツ企画出版社]] P.10-11</ref>。また[[ディエゴ・マラドーナ|マラドーナ]]らと共に、[[ジネディーヌ・ジダン|ジダン]]以前に[[マルセイユ・ルーレット]]を実戦で使っていた選手の一人であった<ref>{{cite news |url=https://spaia.jp/column/soccer/4866|title=【いったい誰だ?】マルセイユルーレットが得意なサッカー選手を解説!|publisher=spaia|date=12 JULY 2007|accessdate=2020-04-27}}</ref>。
 
== 個人成績 ==