「アンドレス・エスコバル」の版間の差分

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コロンビア代表のセンターバックとして数々の国際大会に出場。[[1989年]]には麻薬王[[パブロ・エスコバル]]がオーナーである[[アトレティコ・ナシオナル]]の一員として[[コパ・リベルタドーレス]]優勝に貢献し、この活躍から当時[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]が獲得に興味を示していた<ref name=toyota/>。[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]では[[ACミラン]]とも対戦、0-1と敗れた。代表では主将も任されるなど、南米屈指のディフェンダーとして知られた。
 
19871988年の南米選手権で代表入り、1988年の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦ではコロンビア代表として、イングランドから初めてゴールを奪った選手となった<ref name=toyota/>。[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップイタリア大会]]に出場し堅実な守備で同国初のグループリーグ突破に貢献したが、決勝トーナメント1回戦で[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]に1-2で敗れベスト16に終わった。 [[1994 FIFAワールドカップ・南米予選]]にて、コパアメリカで連覇を成し遂げたアルゼンチン代表を5-0で破るなどして首位で本大会に進出。[[1994 FIFAワールドカップ]]本大会に臨む代表メンバーにも名を連ね、攻撃陣には[[カルロス・バルデラマ]]、[[ファウスティーノ・アスプリージャ]]、[[フレディ・リンコン]]、[[アドルフォ・バレンシア]]らを擁したコロンビアは同大会の優勝候補の一角と目されていた。
 
しかし初戦の1次ラウンド第1試合・[[サッカールーマニア代表|ルーマニア]]戦を1-3で落とし、第2試合の開催国[[サッカーアメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦は、決勝トーナメント進出のためには負けられない状況となった。コロンビアの守備の要として先発出場したエスコバルだったが、前半35分に痛恨の[[オウンゴール]]をアメリカに献上してしまった。その後、追加点を許したコロンビアは、終了間際に1点を返すも届かず1-2で敗戦。この時点でコロンビアの1次ラウンド敗退が決定した。