「サンミュージックプロダクション」の版間の差分

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[[相澤秀禎]]([[横須賀海軍施設|横須賀キャンプ]]を中心に活動した[[バンド (音楽)|バンド]]マンで、[[西郷輝彦]]をスカウトし<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110428-767514.html 西郷輝彦7年ぶり新曲 相沢会長とタッグ] 日刊スポーツ 2011年4月28日閲覧</ref>、自らマネージメントを行った)が、「出来上がったスターを手がけるよりも、新人を育てたい」との思いから、1968年に設立した<ref name="sportshouti20071204">[http://hochi.yomiuri.co.jp/book/news/20071204-OHT1T00183.htm サンミュージック社長が振り返る60年…相沢秀禎著「人生に拍手を!」(講談社)](『[[スポーツ報知]]』 2007年12月4日18時34分閲覧)</ref>。
 
相澤が、自らスカウトした[[森田健作]]([[千葉県知事一覧|千葉県知事]])を第1号タレントとして、スタッフ2人と共に事業を始める。社名は、森田のイメージであった「太陽」(サン)と、音楽プロダクションとしての「音楽」(ミュージック)の英語に由来する<ref name="ninkidukrinohousoku">[[相澤秀禎]] 『人気づくりの法則』([[東洋経済新報社]] 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091</ref>。
 
[[桜田淳子]]、[[松田聖子]]、[[岡田有希子]]、[[早見優]]などの人気[[歌手]]・[[タレント]]を輩出し、[[1980年代]]頃には大手芸能プロダクションに成長した。一方、1986年には岡田が突如、当時事務所のあった四谷の7階建てビル屋上から飛び降り自殺し、後追いで自殺する若者が多数(自殺予防対策センター報告によれば30人)出るなど世間に大きな影響を与えた。現在も岡田の命日にはファンによる献花と黙祷が行われている。