「イングランド共和国」の版間の差分

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ランプ議会の解散は、クロムウェルと軍の一元的支配で速やかに執行された。選挙を行える執政権力を持つ存在は無かったが、クロムウェルは軍事独裁を全面に出すことは好まなかった。従ってクロムウェルは軍をコントロールするため軍の指名者による[[ベアボーンズ議会]](聖者議会、指名議会とも)を[[7月4日]]に召集、議会を通じて統治を行った。
 
ベアボーンズ議会は元ランプ議会のメンバーと対立し、「下層の」者の議会だと非難された。しかし実際は、140人のうち110人を超えるメンバーが下級ジェントリ以上の階級出身者で([[バプテスト教会|バプテスト]]の商人プライズ=ゴッド・ベアボーンは議会の不名誉なニックネームの由来となったがむしろ例外的な存在である)、ほとんどは教養を身につけていた。
 
ベアボーンズ議会は、それぞれの議員を指名した士官ごとのさまざまな視点を反映したものとなった。改革派(約40人)にはコモン・ローと宗教勢力の領地の排除を狙う[[第五王国派]]の中核などが含まれていた。穏健派(約60人)は現在のシステムの改善を考えており、事案ごとに改革・保守派につくこともあった。保守派(約40人)は以前の体制を維持しようとした(コモン・ローがジェントリの既得権益や、十分の一税や聖職推挙権といった重要な資産を保護していたため)。
 
=== 平等派 ===
[[ジョン・リルバーン]]が率いる[[平等派]](水平派とも:Levellers)は主にロンドンと軍から支援を受けていた。1649年の声明書『[[人民協定]]』では、「より民意を反映した透明な議会を二年周期で開会すること」「誰にでも公平に利用できる法の改革」「宗教の寛容性」を要求した。より民主的な社会を求めたにもかかわらず、女性や最下階級の人々は選挙権の拡張要求に含まれなかった。
 
平等派はランプ議会に王政からの改善がほとんど見られないと考え、その失望をデモやパンフレット、暴動などで示した。政府への深刻な脅威になるほどの規模ではなかったにもかかわらず、ランプ議会に恐れられ、1649年に平等派対策の対反逆法(Treasons Act)が可決されるに至った。
 
=== 真正水平派 ===
{{仮リンク|ジェラド・ウィンスタン|en|Gerrard Winstanley}}に率いられた[[真正水平派(Diggers)]]は、平等派よりもより公平な社会を求め、土地の共同所有、男女の法律・教育上の絶対的平等といった社会主義のさきがけともいえるライフスタイルを提唱した。規模はとても小さく、平等派とさえも対立した。
 
=== 宗教上の教派 ===