「独立派 (宗教)」の版間の差分

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[[1642年]]から始まった{{仮リンク|第一次イングランド内戦|en|First English Civil War}}が進むにつれ、議会派は方針で和平か徹底抗戦かで分裂し対立、貴族など保守的な前者は長老派と、政治的独立派の後者は宗教的独立派と提携した。この対立は1643年に[[スコットランド王国|スコットランド]]の[[国民盟約]]([[カヴェナンター|盟約派]])と結んだ[[厳粛な同盟と契約]]の内容を問う[[ウェストミンスター会議]]で現れ、同盟に基づきイングランドに長老制を導入することに独立派が反対、[[平等派]]など他の分離派とも手を組んで[[ニューモデル軍]]を基盤とした政治勢力を結成した。[[1644年]]に[[東部連合]]司令官で[[マンチェスター公爵|マンチェスター伯]][[エドワード・モンタギュー (第2代マンチェスター伯爵)|エドワード・モンタギュー]]の怠慢を副司令官で[[鉄騎隊]]隊長のクロムウェルが議会で非難し、議会でも長老派と独立派の対立が激化すると、独立派はクロムウェルを擁護しマンチェスター伯を庇う長老派に立ちはだかった。やがて[[1645年]]にニューモデル軍創設、[[辞退条例]]制定などで独立派が勢いに乗り、[[ネイズビーの戦い]]で[[騎士党|王党派]]を壊滅させて[[1646年]]に内戦を議会派の勝利で終わらせ、長老派に脅威を与えた<ref name="松村353">松村、P353。</ref><ref>今井、P204 - P209、川北、P194 - P195、松村、P352 - P353、清水、P60、P74、P80 - P97。</ref>。
 
危機感を感じた長老派は独立派の基盤であるニューモデル軍解体を画策、軍内部でも政治構想で独立派と平等派の対立が発生した。[[1647年]]にアイアトンら独立派が『[[建議要目]]』を、平等派が『[[人民協定]]』を起草、[[パトニー討論]]でクロムウェル・アイアトンら独立派と平等派がイングランドの政治改革案で対立、一時は平等派が軍兵士を煽り暴動が起こったが、クロムウェルが素早く鎮圧したおかげで軍は再び独立派が掌握した。[[1648年]]の{{仮リンク|第二次イングランド内戦|en|Second English Civil War}}における[[プレストンの戦い (1648年)|プレストンの戦い]]でスコットランド盟約派と結託した王党派に勝利した軍と独立派は[[プライドのパージ]]で長老派を追放、[[ランプ議会 (イングランド内戦)|ランプ議会]]を形成して革命の主導権を握った。議会は翌[[1649年]]にチャールズ1世を処刑し[[イングランド共和国]]を樹立、共和国は独立派が主導権を握った<ref group="注">しかし、平等派を始め独立派とは別の分離派(バプテスト、[[アナバプテスト]]、{{仮リンク|[[真正水平派|en|Diggers}}]])は共和国に反対、[[クエーカー]]も共和国に抵抗して弾圧された。一時共和国と協力した第五王国派も反対派に加わり、国内に常に不満分子を抱え、オランダなど外国からの反発もあり、共和国は孤立し当初から危機に立たされていた。今井、P221 - P222、川北、P198、清水、P161 - P163。</ref><ref name="松村353"></ref><ref>今井、P209 - P215、川北、P196 - P198、清水、P101 - P103、P105 - P108、P110 - P120、P124 - P125、P136、P151 - P153。</ref>。
 
=== 共和国時代、王政復古後 ===