「ファーディナンド・スタンリー (第5代ダービー伯爵)」の版間の差分

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[[image:Fernando Stanley.jpg|thumb|right|180px|第5代ダービー伯爵ファーディナンド・スタンリー]]
第5代[[ダービー伯爵]]'''ファーディナンド・スタンリー'''(Ferdinando Stanley, 5th Earl of Derby, [[1559年]] - [[1594年]][[4月16日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]の貴族。第4代ダービー伯爵{{仮リンク|ヘンリー・スタンリー (第4代ダービー伯爵)|label=ヘンリー・スタンリー|en|Henry Stanley, 4th Earl of Derby}}とその妻{{仮リンク|マーガレット・クリフォード (ダービー伯爵夫人)|label=マーガレット|en|Margaret Clifford, Countess of Derby}}(第2代カンバーランド伯爵{{仮リンク|ヘンリー・クリフォード (第2代カンバーランド伯爵)|label=ヘンリー・クリフォード|en|Henry Clifford, 2nd Earl of Cumberland}}の娘)の間の長男で、第6代ダービー伯爵[[ウィリアム・スタンリー (第6代ダービー伯爵)|ウィリアム・スタンリー]]は弟。
 
== 生涯 ==
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== 文芸庇護者として ==
ダービー伯位継承前のストレンジ男爵として活発な文芸活動を行い、劇団の庇護者として名を馳せていた。ストレンジ男爵に叙爵される前からストレンジ卿を称し、[[1579年]]から『{{仮リンク|ストレンジ卿一座|en|Lord Strange's Men}}』という劇団を抱え、しばしば宮廷でエリザベス1世に軽業を披露した。やがてストレンジ卿一座は他の劇団から[[リチャード・バーベッジ]]、{{仮リンク|オーガスティン・フィリップス|en|Augustine Phillips}}、{{仮リンク|エドワード・アレン|en|Edward Alleyn}}など俳優を集めて当代随一の劇団へと成長、[[クリストファー・マーロウ]]、[[ロバート・グリーン (劇作家)|ロバート・グリーン]]、[[ウィリアム・シェイクスピア]]などの作品が上演され、パトロンのストレンジ男爵がダービー伯となった1593年にダービー一座と改名した。翌1594年のダービー伯の急死で庇護者を失った劇団は{{仮リンク|宮内長官 (イギリス)|en|Lord Chamberlain|label=宮内大臣}}の初代ハンズドン男爵[[ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)|ヘンリー・ケアリー]]に引き取られ{{仮リンク|宮内大臣一座|en|Lord Chamberlain's Men}}として存続、後に[[国王一座]]に改称した<ref>バグリー、P145 - P147。</ref>。
 
また、ストレンジ卿はシェイクスピアと関わりがあったと推測されている。[[1581年]]にランカシャーの貴族アレグザンダー・ホートンの遺書で言及されているシェイクシャフトという人物がシェイクスピアを指すのではないかという説があり、遺言でホートンから将来を託されたトーマス・ヘスケスの紹介でシェイクスピアはストレンジ卿一座に入ったとされている。ストレンジ卿の死後彼と親しい[[サウサンプトン伯爵]][[ヘンリー・リズリー (第3代サウサンプトン伯)|ヘンリー・リズリー]]がシェイクスピアのパトロンになったのも、シェイクスピアがストレンジ卿とサウサンプトン伯の両方と交流があったからとされ、『[[恋の骨折り損]]』で2人をモデルにした人物が登場する、『[[ヘンリー六世 第1部]]』『[[ヘンリー六世 第2部]]』『[[ヘンリー六世 第3部]]』『[[リチャード三世 (シェイクスピア)|リチャード三世]]』でスタンリー家の役割を強調するなど、ストレンジ卿がシェイクスピアの生涯に大きな影響を与えた可能性が考えられている<ref>バグリー、P147 - P151、結城、P36 - P38、P117 - P118、P121 - P122、河合、P22 - P23。</ref>。
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{{s-bef | rows=4 | before={{仮リンク|ヘンリー・スタンリー (第4代ダービー伯爵)|label=ヘンリー・スタンリー|en|Henry Stanley, 4th Earl of Derby}}}}
{{s-ttl | title=[[ファイル:Stanley_arms.svg|23px]][[ダービー伯爵]] | years=1593–15941593年 - 1594年}}
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